「優等生」を目指さなくてもいい
十種競技の日本記録保持者・右代啓祐選手とお話ししたときに、「どうやって自己ベストを更新し続けてこられたのですか?」と質問すると、右代選手、答えて曰く「毎日、新しいことを取り入れています」。
決まった練習のパターン、ルーティンはあるのでしょう。しかし、それを続けているだけでは現状維持が関の山。自己ベストを更新するためには、何か新しい工夫、トレーニングの在り方を導入することが不可欠です。過去の自分と比較してどれだけ成長したかが、その人にとって大きな価値を持ちます。さすが第一人者の答えは違うなあ、と感じ入りました。
最後に、「歴」というのは、その人にとっての記録、軌跡であり、学位や資格、段位、級位のように権威ある他者から評価・認定されるものに限らないということです。
私たちは、他者から評価されることを過剰に重視してはいないでしょうか。優等生とは、他者の定めた基準に基づいて得られた評価です。
しかもその基準は、何らかの社会背景を反映した恣意的な基準にすぎません。にもかかわらず、その順位が上がった、下がったということに意識を向けすぎている人が多いのが実状です。それはペーパーテストの点数であり、学校の「偏差値」がその典型です。
ある人にとっての、最新学習歴とは、色の違いのようなもので、他者との優劣を比較する必要はありません。
「最終学歴=本人の実力」とは限らない
先に、最終学歴も重要だと申し上げましたが、その相対的な重要性は年々低下していると言わざるを得ません。
最終学歴が保証する能力が、実際、当人に身についているのであれば、就職や昇進、処遇などの際に、これを判断基準の一つにすることは合理性があります。卒業まで学業を投げ出さずに、やり遂げたという努力もまた評価されてしかるべきでしょう。
しかし、実際には試験対策やレポート執筆などの「要領のよさ」がかなり影響していて、単位は充足した、卒業証書や学位は獲得したと言っても、その資格・学位に見合った実力が備わっているかは大いに疑問です。「分数の計算ができない大学生」が揶揄されることがありますが、高校の教科書に書かれた知識を正確に持っている人は滅多にいません。
中学校、いや、小学校の教科書の内容でも、怪しいものです。