「魅力は、バカなことです」

宮古は鮭の街。マンホールの蓋も鮭(2012年1月撮影)。

宮古高校1年生の佐々木勇士さんは経営者志望。佐々木さんは「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」で、合州国で働く日本人起業家に会った。彼らから何を学びましたか。

「海外に出て行って、実体験を増やしていきたいと思いました。語学とかもそうなんですけど、自分にないところを補える人とか、そういう人に会えるように、自分の魅力を鍛えておかないといけないなと思いました」

佐々木さんの鍛えるべき魅力とは何でしょう。

「魅力は、バカなことです(笑)。他の人と違う考え方。ずっと中学校からは、他の人がやってるのと同じことは嫌だったんで、違うことやってきてるんで」

横で久保田さんが「我が意を得たり」と喜んでいる。佐々木さん、内外問わず、かっこいいと思う経営者はいますか。

「最近気になっているのは、Facebook のマーク・ザッカーバーグさんです。経営方法や資金の集め方など、だれもが考えないような方法で為されていて、その発想力や考え方に興味があります。日本だとやっぱり孫さんですね。なんか他の会社の社長とかと違って、16歳とか若いころから世界に行ってる人だから、自分たちとちょっと世界が違うっていうか、見てるものも違うと思うから、憧れるっていうのが一番。『目標』にはまだできないかんじです」

佐々木さんは12月にある機会を得て東京に来た。そのとき、孫正義に直接会っている。その詳しい話は連載の最後のほうに書くことになるだろう。ここでは、佐々木さんが直接会った孫正義の印象をひとことだけ書いておく。

「街中に一人で歩いていても気がつかないような人です」

宮古にも企業経営者はいます。会ってみたい社長はいますか。

「特にいないです。興味がないんです。ここら辺で俺が知ってる社長とかっていうのは、なんか土木関係とか水産関係とかっていう、体動かしたり、モノをつくったりっていう人たちのほうが多くて。自分がやろうと思っているのは、そういうのではなくて、デジタルとか、現実世界とはちょっと違うようなところにも出れるようなもので、そういう会社っていうのは、今、宮古にはなくて。ここらだと、そういう経営者に触れることもないんで」

ちなみに佐々木さんのお父さんは岩手県の職員。「土木部の運転手をしています。震災のときは盛岡と宮古の間くらいの山の中にいて、何が起きているのかよくわからなかったらしいんですけど。その後は、人手が足りないから、遺体の引き上げとか、ぜんぶやってたと聞きました」。

宮古市は広い。合併を繰り返して、岩手県の市町村の中でもっとも広い行政区域となった。江戸時代に南部藩の代官所が置かれた宮古と、外港として栄え、現在は魚市場がある鍬ヶ崎(くわがさき)が合併して宮古町となったのが1924(大正13)年。1941(昭和16)年には山口村、千徳村、磯鶏村の1町3村が合併して宮古市となる。1955(昭和30)年に花輪村、津軽石村、崎山村、重茂村の1市4村を宮古市に編入。2005(平成17)年には北隣の田老町、内陸の新里村を編入。そして震災前年の2010(平成22)年には山間部の川井村を編入し、盛岡市と隣り合う市に拡大した。

結果、同じ「宮古市内」でも、宮古駅周辺のように3~4メートルの津波を受けながら、すばやい復旧を見せたところもあれば、20メートル近い津波に巨大堤防が破壊され、街が壊滅した田老地区のような場所もある。 2012(平成24)年11月の時点で、宮古市の死者は517人、行方不明者94人。拡大を続けた市であるために「宮古では」ということばで被災状況を語ることは難しい。

次に話を聞いたのは、お父さんがガソリンスタンドを経営しているという高校生だ。