6月2日、青森県新郷村で「キリスト祭」が開催される。同村にある「キリストの墓」を祀った祭りで、今年で60回目を迎える。なぜ青森県にキリストの墓があるのか。北海道大学大学院の岡本亮輔教授は「この伝承が広まった背景には、山根キクというクリスチャンの女性の存在がある。キクは生涯をかけて聖書の謎を解こうとした」という――。
60周年を迎える青森県の「キリスト祭」
6月2日、青森県の新郷村でキリスト祭が開催される。1964年に始まった祭で、今年は60周年の節目にあたる。「考えるな、踊れ。」というコピーが添えられたコントラスト強めのポスターが唯一無二の雰囲気を醸し出している。
新郷村のキリスト教伝承と祭の来歴については以前に拙著や別稿で触れたことがある。現在、新郷村の公式サイトには、「ゴルゴダの丘で磔刑になったキリストが実は密かに日本に渡っていた」というタイトルで次のような説明がある。
そんな突拍子もない仮説が、茨城県磯原町(現北茨城市)にある皇祖皇太神宮の竹内家に伝わる竹内古文書から出てきたのが昭和10年のことです。竹内氏自らこの新郷村を訪れ、キリストの墓を発見しました。1936年に考古学者の一団が「キリストの遺書」を発見したり、考古学・地質学者の山根キク氏の著書でとりあげられたりして、新郷村は神秘の村として人々の注目をあびるようになりました。
竹内巨麿と彼が創作したとされる偽書『竹内文書』は広く知られ、新郷村のキリスト伝承が語られる際には必ず言及されるが、ここでは後段に登場する山根キクに注目してみよう。山根は竹内文書にインスパイアされて現地調査を行い、著作を通じて日本のキリスト伝承を広めようとした人物である。