給与が少なく離職するケース

2018年に陸上自衛隊を54歳・3佐(定年時特別昇任)で退官した遠山道弘氏(仮名)も給与の少なさが原因で職を辞した一人だ。

遠山氏は、再就職に際し損保会社を希望したものの、タイミングが合わずやむなく警備会社に就職を決めた。ただ、就職時には無線関連の業務を任せてもらえると聞いていたところ、入社後に求められたのは警備員としての業務だった。

当初は「いまは無線関連の仕事の枠がないため、一時的にお願いしたい」と頼まれたため仕方なく応じたものの、その後、実は当面無線関連の仕事の空きが出ないことを知った。会社からは再度「そのまま警備員をやってほしい」と頼まれたものの、「話が違う」と退職の道を選んだ。

ただ幸運なことに、たまたまその時期にもともと希望していた損保関連の仕事の求人を発見。無事内定に至った。身分は契約社員だが、職場環境は極めてよく、「ここなら定年まで働きたい」と思うほどだった。

ところがある日、ふと家計を見直したところ、退職金や若年退職者給付金がどんどん減っていることに気がついた。このまま減り続けたらどうなるだろう」。危機感を抱いた遠山氏はファイナンシャルプランナーのもとを訪れ、収支に関するシミュレーションを実施。その結果、数年で貯金が枯渇することが判明した。

電卓で計算するセールスマン
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当時の給料は手取りで20万円。これまで特に贅沢をしてきたつもりはなかったため、「お金がなくなるかもしれない」とは考えたこともなかった。しかし専業主婦の妻、大学生となり一人暮らしを始める娘、障害を抱えた息子……。この給料で家族を支えることは難しかった。車の維持費すら頭が痛くなるが、地方の生活に車は欠かせない。ファイナンシャルプランナーからは、「収入を上げることが望ましい」と指摘を受けた。

「再就職後に資産形成」は難しい

そこで、やむなく恵まれた職場を離れ、完全歩合制のタクシー運転手に転職を果たす。研修期間は苦しい日々だったが、いまは妻も派遣社員としてほぼフルタイムで仕事を始め、「ようやくなんとかなってきた」と話す。なおこの「給与が少なく離職」というのは、近年になるほど差し迫った問題となっているようだ。

いまは再就職に向けた教育の中でも「再就職後に資産形成を行うのは難しい」と話すというが、筆者が取材できた中では、70代以上では「退官後、お金に困ることはなかった」と話す傾向にあった。

なぜ、そうなるのか。かつては年金受給開始年齢も早かった。1941年4月2日より前に生まれた場合、60歳で報酬比例部分と定額部分を足し合わせた年金をもらうことができた。

それ以降はまず定額部分の支給開始年齢が、次いで報酬比例部分が引き上げられたが、1953年4月2日より前に生まれていれば、60歳から報酬比例部分の年金をもらうことができていた。

報酬比例部分も定額部分もなくなり、完全に65歳からの支給となったのは、1961年4月2日生まれ以降の人である。また2015年までは共済年金の制度があり、公務員はいまよりも手厚い保障となっていた。そのうえ、退職金も昔のほうが多かった。そして税金と物価はかつてよりも上がっている。

退職金が大きく下がったのは「官民格差是正」のためだが、日本全体が貧しくなっていることが、自衛官にも大きな影響を与えている。