重遠の次女は4歳の頃から昭和天皇の第一皇女のご学友に
また、重遠の次女・美代子が4歳の頃から昭和天皇の第一皇女のご学友に選ばれ、その縁で1945年8月10日(終戦の5日前)に東宮大夫兼東宮侍従長に選ばれている。重遠はその前年1944年に貴族院議員に選任され、1926年には父の死にともなって男爵を継いでいるので、りっぱな貴族だったのだ。
なお、東宮大夫兼東宮侍従長の選任は内大臣・木戸幸一(木戸孝允の孫)、皇后宮大夫・侍従次長の広幡忠隆の協議によって決定したのだが、この御両人は重遠の姻戚なのである。木戸は重遠の義弟(妻同士が姉妹)、広幡は義姪(妻の姪)の義兄なのだ。簡単に言ってしまうと、妻の父である児玉源太郎閥である。
東大はじまって以来の秀才で、親戚もズラリとセレブリティな男。それが穂積重遠だ。小林薫みたくカッコよくはなく、あだ名はイノシシなんだけど。
参考文献
・大村敦志『穂積重遠 社会教育と社会事業とを両翼として』(ミネルヴァ日本評伝選)
・穂積重行『明治一法学者の出発 穂積陳重をめぐって』(岩波書店)
・佐野眞一『渋沢家三代』(文春新書)