現代美術家の大滝ジュンコさんは、新潟県北部にある山熊田という人口37人の集落で、マタギの夫と共に暮らしている。今年2月、その日々を描いた『現代アートを続けていたら、いつのまにかマタギの嫁になっていた』(山と渓谷社)を出版した。埼玉県出身で東京を拠点に活動していた大滝さんは、なぜ縁もゆかりもない山里に移住したのか。そこでどんな生活を送っているのか。(前編/全2回)

老人とマタギと熊しかいない村の生活

――そもそも山熊田で暮らしはじめた経緯を教えてください。

きっかけは10年前の秋です。山熊田の取材を続ける知り合いのフリーライターから「マタギと飲み会しようぜ」と誘われたんです。

試しに山熊田をGoogle earthで調べてみたら、完全に山で人が生活している気配がまったくなかった。面白そうと集落が主催する山登りイベントと飲み会に参加してみたんです。

実際に行ったら、最寄りのJR府屋駅から山道を30分走った終点にある山奥の村でした。当時の人口は50人弱。お店も学校も何にもない本当に小さな集落でした。

雪に染まった山熊田の様子
画像提供=大滝ジュンコさん
雪に染まった山熊田の様子

山登りを終えて村に戻ると打ち上げと称した飲み会がはじまりました。もちろん村には居酒屋や飲み屋はありません。宴会場となった家の茶の間には、村人が持ち寄ったごちそうがならんでいました。山菜の天ぷらやゴマ和え、熊の脂身の味噌漬け、見たこともないショッキングピンク色をしたカブの漬物……。

やがて廊下にはビールの空き缶がどんどん並んでいき、飲んでも飲んでも一升瓶が出てくる。「じょんこ」とお酌をされるんだけど、方言と訛りがきつすぎて話がほとんど理解できない。みんな絵本に登場する山賊みたいに「ガハガハ」と笑って、酒を飲んでいる。知り合う人、知り合う人みんながおおらか――悪く言えば、大雑把で楽しかったんです。

散々酔っ払った翌朝、起きて村を散歩すると、住民のほとんどが高齢者だと気づきました。そして思ったんです。「もしかしたら、この村には、30年後の未来がないんじゃないか」と。

そして山熊田に通ううち、2015年に移住。マタギの頭領をしている夫と結婚して、伝統工芸品のシナという木の樹皮からつくる「羽越うえつしな」の制作を手がけるようになったんです。