「グライダー」育ての親が子どもたちを「思考」の発達から遠ざける

それなのに、今の大人たちはなぜか、自身の「思考の結果」を、発達(歴史)の順序を全く無視して子どもの脳に教え込もうとしたがる。

写真=iStock.com/Wavebreakmedia

「高校受験の苦労をしないためには、中高一貫校に行くことが最善であるから小学校3年生から塾に通って勉強をしなければならない」「大学3年生になったら就職活動をして、就職後少なくとも3年間は同じ会社に勤めなければ社会からはみ出してしまう」……「心配」という免罪符を掲げて、子どもたちをどんどん「思考」の発達から遠ざける親たちのその姿は、まさに、「グライダー」育てである。

それがいかに問題であるかをいち早く指摘した一冊が、先日新版が刊行された外山滋比古氏の代表作『思考の整理学』だ。

外山滋比古『新版 思考の整理学』(ちくま文庫)
外山滋比古『新版 思考の整理学』(ちくま文庫)

本書で繰り返し薦められている、朝飯前の思考・グライダーではなく飛行機型の思考・そして「すてる」、「忘れること」の重要性。「知の巨人」と称される方なので、当たり前のことなのかもしれない。けれども私は外山滋比古の著作を読むたびに、毎回驚かざるを得ないのだ。

脳科学の研究者でも、発達を学んだ医師でもないはずなのに、彼の深淵なる思考の結実は、長年子どもの発達の歪みの実例を目の当たりにして、それを科学的に証明したいと思って活動してきた一小児科医が到達した考えとぴたりと一致する。快感である。

そしてこのように、道が違っても到達する頂上の景色は同じなのであるから、これは絶対に「真実」なのだ、と確信させてもらえるのだ。

夜の頭よりも優秀「朝飯前」の本当の意味

たとえば「朝飯前」について、外山氏はこう書いている。

「夜考えることと、朝考えることとは、同じ人間でも、かなり違っているのではないか、ということを何年か前に気づいた。朝の考えは夜の考えとはなぜ同じではないのか。考えてみると、おもしろい問題である。(中略)

どうも朝の頭の方が、夜の頭よりも、優秀であるらしい。夜、さんざんてこずって、うまく行かなかった仕事があるとする。これはダメ。明日の朝にしよう、と思う。心のどこかで、「きょうできることをあすに延ばすな」ということわざが頭をかすめる。それをおさえて寝てしまう。

朝になって、もう一度、挑んでみる。すると、どうだ。ゆうべはあんなに手におえなかった問題が、するすると片づいてしまうではないか。昨夜のことがまるで夢のようである。

(中略)

“朝飯前”ということばがある。手もとの辞書をひくと、「朝の食事をする前。『そんな事は朝飯前だ』〔=朝食前にも出来るほど、簡単だ〕」(『新明解国語辞典』)とある。いまの用法はこの通りだろうが、もとはすこし違っていたのではないか、と疑い出した。

簡単なことだから、朝飯前なのではなく、朝の食事の前にするために、本来は、決して簡単でもなんでもないことが、さっさとできてしまい、いかにも簡単そうに見える。

知らない人間が、それを朝飯前と呼んだというのではあるまいか。どんなことでも、朝飯前にすれば、さっさと片付く。朝の頭はそれだけ能率がいい。」(p.22-24より)

量・質ともに十分な睡眠を摂ることで脳はその機能を発揮する。まさに脳科学に基づいた「朝飯前」の重要性である。