「長生きする人間は、義理を欠くのがうまい」
いろんな人とつき合うと、他人のペースに巻き込まれて、自分のペースを失ってしまうんです。人間はペースを失ったり、自分のフットワークを失い、体のリズムが狂ってくれば、ストレスが起きる。それで疲れる。早死にするね。だから彼らは「義理は欠くもんだ。長生きする人間は、義理を欠くのがうまい。その代わり評判が悪いんだ」というわけ。考えてみると僕もいちばんペースを狂わされるのは、やっぱりつき合い。
たとえば、もし誰かのパーティーに顔を出そうとしたら、毎晩になってしまう。間違いなく。だからAの人のパーティーに行ってBのは行かない、というのはBに悪いから、僕は全部行かないことにしている。よほどのことがない限り僕は全部断る。
もちろん、ごく親しい人間が会社をやめてフリーになるとかいう場合は行くこともある。あるいはお葬式。これは別ですけど、僕は基本的には義理を欠くことにしている。だから評判は悪いと思う。
それからもうひとつ、三世紀会の人たちが強調していたのは、「イヤなことは忘れることだ」というんです。いやなことを几帳面にいつまでもクヨクヨ覚えている。これも早死にのもとだと言うんだ。といっても、人がなんか文句を言ってる時に、ソッポを向いていたら、これは嫌われる。あまり嫌われても、悪口を言われるだけだから、それに耐えることになる。抵抗しなきゃならない。これまた疲れる。だから人が文句を言う時には、ちゃんと聞いて、それで目の前からその人が去ったら、その瞬間に忘れるんだと。
これは長生きの秘訣であると同時に、人生を生きるコツだと思う。つまり、健康を気にしない、義理を欠く、イヤなことは忘れろ、というのは、自分のペースで生きるということですよ。
人のペースに合わせ続けることはできない
生きるということは極端にいうと、人のペースに自分を合わせるか、自分のペースに人を合わせさせるか、この勝負だと思う。
人のペースに自分を合わせる生き方もある。それが好きな人はやってもいいと思う。ただ、これは長続きしない。若い、頭の柔らかい時にはそれはできるけれど、だんだん年を重ねるうちに疲れてくる。だから勝負は、いかに自分のペースに人を合わせさせるか、だね。自分のペースで生きれば、実は一生懸命生きても、疲れれば自然とスピードは落ちるんです。逆に調子がよくなればスピードはあがる。自分ひとりで走り続けるマラソンのようなものなんだ、人生は。
僕は自分で自分のことをラッキーだなと思っているんです。最初から落ちこぼれだった。まず大学に7年もいた。だから卒業する時に、本来同期の人間から3年遅れてた。卒業する時には、同期はすでに社会人4年目に入ってるわけだ。そして、最初の就職、映画会社は3年半で辞めてしまった。その時点で、そこの同期入社組とも競争する必要もなくなった。