なぜアメリカは世界で嫌われるのか

アフガニスタンが良い例だ。2001年、アメリカは米国同時多発テロの首謀者オサマ・ビンラディンをかくまっているとして、アフガニスタンを支配していたタリバンを攻撃。しかし、タリバンは壊滅に至らず、肝心のオサマ・ビンラディンはアフガニスタンではなくパキスタンに潜伏していた。CIAなどで高名なアメリカの諜報力が、実は貧弱であることが露呈している。

その後、一時は弱体化したタリバンは徐々に勢力を回復し、脅威に感じたアメリカは21年にアフガニスタンから完全撤退。20年にわたる軍事攻撃は、派兵したアメリカとその同盟国に多くの戦死者を出しただけに終わった。

アメリカとイランが本格的に衝突すれば、アフガニスタンと同様の展開が予想される。イランがしぶとく粘るうちに戦闘が長期化して、お互いに疲弊していくに違いない。

また、アメリカにとってはイラン以外にも敵が大勢いることが頭痛の種だ。

イランが直接支援するハマス、ヒズボラ、フーシ派だけではなく、シリアやそれを支援するロシア、シリアに拠点を置くISなど、アメリカは多方面で緊張を強いられている。日本にいると見えてこないが、アメリカは世界中で嫌われている国なのである。

アメリカが嫌われるのは、「自らが信じる正義」を無理やり押しつけるからだ。わかりやすい例はイラクである。

イスラム教を国教とするイラクは、国民の大多数をシーア派が占めている。一方、1979年から03年までイラクを治めていたサダム・フセイン大統領は、国内で少数派のスンニ派だった。フセイン政権は強権的な統治だったが、少数派が多数派を支配するには独裁者になるしかないという、政治的なリアリズムを発揮しただけの話である。

ところが、アメリカの正義感は独裁者を許さない。03年、コリン・パウエル米国務長官(当時)は国連で「イラクは大量破壊兵器を保有している」と演説した。イラクへの軍事攻撃を正当化したアメリカは、同年にサダム・フセインを捕らえて後に処刑したが、後年になってイラクは大量破壊兵器を保有していなかったことが判明した。

そして、イラクで戦争を始めたアメリカは、重大な誤りを犯したことに気づく。サダム・フセインの追放後、イラクでアメリカが大好きな「民主化」選挙をやったところ、反米のシーア派政権が誕生した。アメリカはわざわざ自分の敵を増やすために、その国の国民を独裁者から「解放」したわけだ。

米兵の部隊がバグダッドの街を監視している。マイケル・マルソフ撮影。2003年5月12日
写真=iStock.com/Michael Multhoff
※写真はイメージです

同じことは、エジプトでも起きている。11年に独裁者のホスニー・ムバラク大統領を「アラブの春」で失脚させたが、その後の選挙では反米のムスリム同胞団がつくった政党が勝利し、モルシ内閣が発足した。その政権もすぐに頓挫して、軍事クーデターが発生。今となっては、ムバラク時代よりも強権的なシーシー政権が誕生している。

そもそも、アメリカとイランの仲が悪くなったのは、79年のイラン革命で失脚した国王パフラヴィー2世をアメリカに亡命させ、イラン革命政府の引き渡し要求に応じなかったからである。

革命後のイランの最高指導者は、初代がルーホッラー・ホメイニー氏、2代目は現職のハーメネイー氏。アメリカとの関係は一貫して冷え込んでおり、革命から40年以上経った今でもイラン国民は「自分たちが孤立しているのはアメリカのせいだ」と恨み骨髄だ。