※本稿は、柳川範之『東大教授がゆるっと教える独学リスキリング入門』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
最初は一生懸命ノートを作っていた
私は、ずいぶん長い間、独学で勉強してきました。どんなふうに勉強してきたか、皆さんご関心があるのではないかと思います。そのあたりを少し、書いてみたいと思います。といっても、何か特別なことをしてきたという意識は自分ではあまりありません。
いくつかポイントがあるのですが、まず、日頃の勉強パターンとして、ノートは作らないで勉強するという学習法をずいぶん長いことやってきました。普通は、勉強した内容をノートにまとめたり、ノートに書いて覚えるというパターンが多いと思いますが、私はそれとはまったく逆のやり方をしてきました。ノートを作らないでいろんなことを覚えていくというスタイルをとってきたのです。なぜそうするようになったのかというと、実は最初は一生懸命ノートを作っていたんです。
話は、中学の最初の期末試験にさかのぼります。シンガポールの日本人学校にいたときですが、彼の地でもちゃんと期末試験がありました。日本と同じように採点をするというかたちでしたので、普通の中学生と同じように一生懸命試験勉強をして、試験に臨むことになりました。
中身を覚えたり考えたりすることがおろそかになっていた
最初の試験だったこともあって、やる気を出して、きちっとノートを作って、しっかり覚えようと思い、それぞれ主要科目について1冊ずつノートを買ってきました。一生懸命きれいなノートを作り、授業でとったノートをまとめたり、参考書と教科書とノートを照らし合わせていろいろまとめたりしたんですね。そして、きれいなノートはできるにはできたんです。あとから見ても、非常によくわかるノートだったと自分でも思うぐらいの出来映えでした。けれども、実はそのときの試験の結果というのは、あまりはかばかしくなかったのです。
ふり返って反省してみると、ノートを作ることに一生懸命になっていて、ノートの中身をきちっと覚えるとか、中身をきちっと考えるということがおろそかになっていたように思いました。そこできれいなノート作りは、勉強時間が限られている中で、どうも無駄なんじゃないかと思って、それから大きな方向転換をしたというのが、私の経験なんです。
多くの場合、見やすい図を作ったり、きれいに整理して、マーカーを使って色を変えてみたり、ということをいろいろとやるわけです。その過程で何が重要かを確認したり、覚えていったりする部分もあると思うのですが、実はそれはあまり効率が良くない。それよりも、もし書いて覚えるのだったら、もう少し汚い字でもいいから何回も書いたほうがいい。