男が中国の漢文を学んでいたとき、女は自国語の文学を作り出した
女はまず宮仕えにでて、さまざまな社会的体験をし、感性を磨き、そして結婚すべきだ。これも、いまでも通用する女の主張である。先ほどの文章の中に、「おおやけどころ」に立ち入れる男たちは、そこから選り取りをしたらいい、とすすめていたが、まさに、宮中で働く女たち、女房をこそ結婚相手にするのがよいとすすめている。これも、男たちの日記、たとえば実資の日記『小右記』にちりばめられている、女房勤めを非難する男たちへの、「異論・反論」である。
平安朝の半ばころ、道綱母や清少納言だけでなく、新しい長編小説、世紀の大べストセラーを完成させた紫式部、自分の愛を高らかに歌いあげた和泉式部、歴史の中の真実を物語に収斂した赤染衛門など、数えきれないほどの女たちが、文学の中で自己表現してきた。まさに、書く女たちの世紀であった。
男たちが、借り物の外国語である漢字や漢籍を下敷きに日記を書き、公的文書や漢詩をつくっていたとき、女たちは、心の内面を描写できる仮名、いわば自国語で、自己を語ったのである。この仮名文学が、わが国の平易な日本文を定着させていったことはいうまでもない。
女たちは、伝統文化の基礎をしっかりと固めたのである。