取材では、若き日の“葛藤”も語っていた。
10歳で日本に渡ってきた山根氏は、父の経営する塗装工場に勤務していた。
「朝5時に起きて、6時から現場に放り込まれ、仕事が終わったら夜の12時やで。塗料を被って、毎日、風呂に行くたびにボトボトと落ちてくる。実母が韓国で金に困ってたんや」
若き日の“葛藤”「俺は密入国だから警察が来たら…」
家出がちになり、困窮すると、こっそり自宅に舞い戻り、家の中の物を売り払った。
「確かに昔、親父の時計を盗んだのは事実だよ」
父の後妻である継母とはよく衝突していたという。
「言うことを聞かんかったら母親が、家の電話の受話器を持つわけ。『堺北署に電話するよ!』と。俺は密入国だから警察が来たら韓国に帰されてしまう。それが怖くて怖くて、仕方なかったんやあ……」
親族によれば、本格的に家を出た20歳ごろの山根氏は、旧知の男性の運転手として生計を立てるようになり、オールバックに黒のシルクのタートルネックというスタイルで、外車を乗り回していたという。
そして、再びボクシングに関わるようになったのは20代半ばの頃。
「韓国ボクシングの釜山連盟会長が従兄弟やった。その従兄弟が韓国から来て、日本の近畿チームの面倒をみとったわけ。それを見ているうちに自分もアマチュアボクシングに関係するようになったんや」