《追悼》山根明・日本ボクシング連盟前会長(享年84)「週刊文春」記者が山根氏のパンチを食らった日「僕はね、悪いことは助成金の分配以外してないから!」(「週刊文春」編集部,齋藤史朗/週刊文春)

昨夏の終わりごろ、記者の携帯に見覚えのある名前の不在着信履歴が残っていた。

〈山根明元会長〉

不本意な記事には抗議もする人だった。やや面倒に思いながらも折り返すと、呼び出し音にお馴染み「ゴッドファーザー」の「愛のテーマ」が鳴り、しばらくして本人が出た。

「はい、山根明です」

記者「不在着信があったんで折り返したんですが、間違い電話でしたかね?」

山根元会長「ああ、そうそう。ありがとう、ありがとう」

穏やかな声でこう答えた後、電話は切れた。

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山根氏の自宅にて

アマチュアボクシングを統括する日本ボクシング連盟の山根明前会長が1月31日午前、大阪市内の病院で亡くなった。享年84。昨年11月に血尿が出るなどしたため検査したところ、肺がんが発覚し、12月から入退院を繰り返していたという。

強烈なキャラクターでテレビの人気者に

“男・山根”を自称し、アマチュアボクシング界ではコワモテで通っていた。2000年シドニー五輪で日本代表監督を務め、2011年2月に日本ボクシング連盟の会長に就任。しかし、2018年に日本スポーツ振興センターからの助成金の不正流用などを告発され、かつて県連盟会長を務めた奈良県の選手をひいきする「奈良判定」も問題視された。同年8月に会長を辞任し、翌2019年には日本ボクシング連盟総会で「除名」が正式決定。事実上の永久追放となった。一躍、“時の人”となった山根氏だったが、その後は強烈なキャラクターでテレビの人気者に。自伝「男 山根 『無冠の帝王』半生記」を出版し、俳優業にも挑戦した。

記者は生前の山根氏に何度か取材してきた。

1939年10月12日、大阪府堺市生まれ。在日韓国人で、終戦後、一度は母とともに韓国に引き揚げたが、10歳の時に父のいる日本に密航船で再び渡航した。その後、40歳の時に日本国籍を取得している。