東京湾には1都6県の排水が流れ込む東京湾は、合流式下水道のため糞尿そのものも流れ込んでいる。それでもなぜ水質汚染が深刻ではないのか。元国土交通省河川局長の竹村公太郎さんは「東京湾は閉鎖性水域だが、利根川の地下水が流れ込み、東京湾内の海水の入れ替えをしている」という――。

※本稿は、竹村公太郎『日本史の謎は「地形」で解ける【日本人の起源篇】』(PHP文庫)の一部を再編集したものです。

寿司のイメージ
写真=iStock.com/yukimco
東京湾の魚介類の新鮮さと美味しさは謎(※写真はイメージです)

江戸幕府から始まった大都市・東京の歴史

1603年、江戸に幕府が開府された。家康が率いる3万人の部下たちの居住地を設営するため、神田にあった山を削って、日比谷や海岸沿いを埋め立てた。

部下以外にも江戸住まいする人々が登場した。前田利家は家康への忠誠のあかしとして、正室まつを人質として江戸に住まわせた。

他の大名たちもこれにならい正室や子息たちを江戸に住まわせた。

家光の時代には、武家諸法度は大名たちが守るべき制度にもなった。

江戸の大名たちには様々な役割の家臣たちが必要であった。国元から送られてくる物資の保管所も必要であった。上屋敷、中屋敷そして下屋敷と大名屋敷が増えていくと、武士以外にも各種の職人や商人が必要となった。

東京湾はゴミ捨て場となった

人々が増えると茶屋、料理屋、芝居小屋、そして遊郭なども登場した。全国各地から人々が集まり、江戸の人口は一気に増えて、世界に冠たる百万都市に向かっていった。

それにともないゴミの量も増え、火事や地震の後始末の瓦礫も大量に発生した。そのたびに江戸湾(東京湾)はどんどん埋め立てられ、江戸の下町が拡大していった。

江戸湾はゴミ捨て場として、ひっそりと江戸社会を支えていた。

一方で、当時の江戸湾で獲れた魚は江戸前と呼ばれ、新鮮で美味だった。それから400年も経った21世紀の今でも、東京湾で獲れた魚は新鮮で美味しいと定評がある。

この21世紀の東京湾の魚介類の新鮮さと美味しさは謎である。普通では考えられない現象である。