ダンクが流行るとブームは終わる

エアマックス95が大ブームになった後、揺り戻しのように97年頃からスニーカー人気が急落しはじめるのですが、業界全体が低迷したわけではありませんでした。

エアマックス95に代わって人気を博したのが、バスケットシューズであるダンクです。当時『Boon』などの雑誌でヴィンテージデニムとの相性が良いと紹介され、特に紺黄のミシガンカラーは人気が高く、85年のデッドストックが20万円を超える高値で販売されていました。

エアマックスを筆頭とするハイテクスニーカーが飽きられていくと、一部のイケてるスケーターたちがフラットソールでレザーアッパーのダンクを丈夫でスケートしやすいスニーカーとして履きはじめました。

NIKE DUNK HIGH VNTG MICHIGAN(写真=『スニーカー学 atmos創設者が振り返るシーンの栄枯盛衰』より)
NIKE DUNK HIGH VNTG MICHIGAN、写真=『スニーカー学 atmos創設者が振り返るシーンの栄枯盛衰』(KADOKAWA)より
NIKE DUNK LOW RETRO WHITE/BLACK通称“パンダダンク”(写真=『スニーカー学 atmos創設者が振り返るシーンの栄枯盛衰』より)
NIKE DUNK LOW RETRO WHITE/BLACK 通称“パンダダンク”、写真=『スニーカー学 atmos創設者が振り返るシーンの栄枯盛衰』(KADOKAWA)より

時を同じくしてナイキジャパンに所属していた酒井くんやマーカスといった人材がCO.JP(コンセプトジャパン)と言われる日本企画のラインを立ち上げ、99年にオリジナルカラーのミシガンカラーが復刻。その後も2000年、2002年と立て続けにリリースされることに。表ダンクや裏ダンクといったアイテムをはじめ一気に14カラーほどが登場することになりました。

当時、CO.JPラインのダンクが人気を博した理由が、日本を訪れた外国人が現地で売っていないカラーのダンクを見つけて「日本には面白いダンクが売っている」と欲しがるようになり、海外での盛り上がりが逆輸入される形で日本でも注目を浴びるようになったこと。

ブームの終焉と復活

その流れは今のインバウンドとも通底するものですし、裏原文化やコレクター文化といった日本ならではの特徴が、スニーカー全体のカルチャーに影響を与えた例と言えるでしょう。

しかし、結局その人気は長続きしませんでした。というのもカップソールのダンクはエアマックス95などと比べると、デイリーに履くには負担を感じる人が多かったように思います。

その後はスニーカー全体の人気も低迷することになり、当時何百足もダンクをコレクションしていた人たちの多くが、08年頃にダンクの価値が急落したタイミングで手放したり履き潰したりしてしまった。その他のコレクターにとっても同様だったようで、いわば1足1万円以下で手に入る大衆スニーカーとして、その時に多くのダンクが履き潰されてしまったようです。

そのダンクがふたたび脚光を浴びるのは、2018年のこと。トラヴィス・スコットやヴァージル・アブローといったファッションリーダーたちが急にダンクを履きはじめて注目を集め、2021年にはふたたびミシガンカラーが復刻。ダンクがコレクタブルなスニーカーという地位に返り咲くことになりました。もしダンクの人気が急落した際にコレクションを手放さず今でも持ち続けていたら、ひと財産になったでしょう。