斜陽の仏教界は「寺院版DX」で復活できるか

前編はこちら

前編では2060年時点における、仏教寺院や宗派の行末を予測した。同時に寺を維持していくために、兼業僧侶が増加し、そのことで世俗化が進むが、寺院再生への手立てとなると指摘した。

後編(本稿)では、いくつかの古い仏教的慣習がなくなっていく可能性に触れていきたい。例えば、檀家制度や戒名制度である。さらに今後は「寺院版DX」が、新たな価値を創造していくことになるだろう。

向かい合って手を合わせている二人の僧侶
写真=iStock.com/Xavier Arnau
※写真はイメージです

これまで寺院を支えてきた「檀家制度」が、風前の灯である。檀家制度とは1638(寛永15)年、江戸幕府がすべての日本人に対して、寺請証文の提出を義務づけるよう命じたことに始まる。寺請証文は、葬儀を担う寺を菩提ぼだい寺とし、その檀家がキリシタンではないことを住職が署名捺印して証明させる身分証明書のことだ。これによって、庶民は菩提寺を持ち、集落や寺院境内地に墓をつくり、住職が葬儀や法事などを担う体制が整った。

江戸幕府が倒れて明治新政府が誕生した時、公的な檀家制度はなくなった。しかし、「ムラ社会の中のイエの弔い(慣習としての檀家制度)」は、こんにちまで続いていく。

このイエ制度における家督の継承者は原則、長男であった。つまり、長男が財産や祭祀継承権(菩提寺や墓、仏壇を継承する権利)を独占してきた。

だが太平洋戦争後、「イエ制度」が崩壊する。戦後民法では財産は兄弟均等相続になった。だが、祭祀継承権はいまだに長男が相続するケースが多い。

とはいえ現代では長男も故郷を離れ、多くが核家族を形成している。菩提寺や墓、仏壇を守ってきた親が亡くなったのをきっかけに「墓じまい」や「仏壇じまい」をし、菩提寺を離れるケースが相次いでいる。

そして、自分たちの住む都会の無宗教式の永代供養墓に遺骨を移す動きが、加速している。都会型の永代供養墓は、檀家制度を敷かないことが多い。寺に対する義務や縛りがあまりなく、会員契約のような自由さがある。

だが、デメリットもある。遠く離れた故郷の墓の維持管理から解放される一方で、今度は自分たちで、自分たちの埋まる場所を探していかねばならない。永代供養は納骨の期限付き契約がほとんどだ。その都度、遺骨を移す手間とコストがかかることがあるので、注意が必要である。

いずれにしても、都会の永代供養の広がりが、檀家制度を骨抜きにしている実情がある。いまだ根強く寺檀関係が残っている地方都市でも、少しずつ時間をかけて檀家制度が崩れていくことだろう。

檀家制度の崩壊に伴い、古くからの仏教的慣習のいくつかは、きっとなくなっていく。