では、そのように遺伝子操作されたことを、当のミュウツーは喜んでいるのでしょうか。残念ながら、どうもそういうことではなさそうです。

ミュウツーの出生を題材にした映画作品として、1998年、『劇場版ポケットモンスターミュウツーの逆襲』が公開されました。そのなかでは、ミュウツーが自分の生い立ちに抱く苦悩が描かれることになります。

物語序盤、研究施設でミュウツーが誕生するシーンが映し出されます。水槽のなかで目覚めたミュウツーは、その高い能力を実験するために、何度もポケモンとの戦闘を繰り返すことを強いられます。その最中で、ミュウツー、ただ戦うことだけを求められる自分自身の存在に、疑問を抱くようになっていきます。

やがて、ミュウツーは世界への深い怒りを感じ始めます。周囲の人間たちが、自分をただ戦闘のための道具として扱い、利用しているだけであることに気付いたからです。そしてあるとき、人間に反逆することを決意するのです。その心中は次のように語られます。

誰が生めと頼んだ?

誰が作ってくれと願った?

私は私を生んだ全てを恨む。

だからこれは、攻撃でもなく宣戦布告でもなく、

私を生み出したお前達への、逆襲だ。

ミュウツーは、研究施設を自ら破壊し、どこかへと渡えてしまいます。そして、世界中から強いポケモンの遺伝子を集め、それを操作することで、より強力なコピーポケモンを作成し始めます。そして、最強のポケモンにして最強のトレーナーとして、より強いポケモンだけで構成された世界を作るために、弱いポケモンを淘汰し始めるのです。

「優生思想」に陥った悲しきポケモン

優良な遺伝子を掛け合わせ、より強い存在を作る、そして弱い遺伝子を持つ存在を淘汰する――後ほど詳しく述べますが、これは優生思想の考え方です。ミュウツー自身が、優生思想によって生み出された存在であることを無視することはできません。優性思想、つまり戦闘に強いことが望ましいという価値観のもとで、人間が自分を戦闘に勝つための道具として扱っていることを、ミュウツーは憎んでいました。そうであるにもかかわらず、自分自身も優生思想に染まってしまうのです。

ミュウツーが自分の試みを「逆襲」と呼ぶのは、自分が人間からされたことを、今度は自分が人間に対して行っているからでしょう。しかし、優生思想に囚われれば囚われるほど、自分が道具として生まれてきたという運命からも、逃れられなくなります。ここにミュウツーという存在の悲しさがあります。

『ミュウツーの逆襲』では、このように、遺伝子操作によるミュウツーの誕生が悲劇として描き出されます。それは、遺伝子操作をかなり悲観的に捉えた作品である、と言えるでしょう。もちろんこれはフィクション作品であり、架空の世界の話です。この作品を素朴に真に受けて、遺伝子操作やゲノム編集を過度に危険視したり、非難したりすることは間違っているでしょう。

しかし、少なくともそれは、遺伝子操作が社会に応用された世界で、何が起こるかを予見したものではあるはずです。現実の社会でこうした事態が必ず起こるとは限りませんが、起こりうる未来の一つを描いたものではあるのです。

20万人以上の罪なき人々を虐殺……ヒトラーが取り憑かれた「優生思想」と、やまゆり園事件犯人の「冗談では済まされない」発言〉へ続く

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