江戸幕府の第2代将軍・徳川秀忠とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「文武を兼ね備え、すぐれた決断力で幕府の基礎を築いた。NHK大河ドラマ『どうする家康』で描かれたような凡庸な人物ではなかった」という――。
徹底的に「凡庸で鈍感な人物」として描かれている
こんなに頼りなくていいのか、と感じる視聴者も少なくないのではないだろうか。NHK大河ドラマ「どうする家康」での徳川秀忠(森崎ウィン)の描かれ方である。たとえば、第44回「徳川幕府誕生」(11月19日放送)では、本多正信(松山ケンイチ)に「いうなれば偉大なる凡庸」といわれ、「関ヶ原でも恨みを買っておりませんしな。間に合わなかったおかげで」と説かれても、「たしかにそうじゃ。かえってよかったかもしれんな」と素直に答えていた。
徳川軍の主力3万8000を率いる秀忠が関ヶ原合戦に遅参したのは事実であり、その印象が強いせいで、凡庸だという評価が定着しているのも否めない。そもそも、遅参したのが秀忠のせいだともいい切れないのだが、秀忠が自身の「不始末」を後々まで気にしていたことは、その後の言動からもまちがいない。
失敗を自分の胸に深く刻印する賢さがあったから、秀忠は徳川将軍家の二代目として、家康が築いた支配体制をしっかり固めることができた。関ヶ原の遅参について「かえってよかったかもしれん」と無邪気によろこぶほど鈍感であったら、家康亡き後に天下を固めることなど、できなかったのではないだろうか。
大河ドラマのように、関ヶ原に遅参したから凡庸で、凡庸だから鈍感な人物として描くのは、人物の造形として安易ではないか。若いときに「どうする家康」の秀忠くらい鈍感だった人間が、年を重ねてきわめて鋭敏になることは、あまりないように思うのだが。