関ヶ原の合戦が起こった年、イギリス人航海士のウィリアム・アダムスはオランダの軍艦に乗って九州に漂着。徳川家康の家庭教師のような立場になり、旗本の地位と領地を与えられ、三浦按針と呼ばれた。アダムスについて研究するフレデリック・クレインス教授は「対外政策を進める家康にとってアダムスは必要な人材だった。だが、それだけでなく、アダムスは納得がいかないことは受け入れず、自分の意見を正直に言う性格ゆえに、家康に寵愛された」という――。
「皇帝(大御所徳川家康)の前のウィリアム・アダムズ」
「皇帝(大御所徳川家康)の前のウィリアム・アダムズ」(画像=Dalton, W./国際日本文化研究センターデータベース/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

村雨辰剛の演じる三浦按針ことウィリアム・アダムスとは

今年の大河ドラマで取り上げられた徳川家康が注目されている。これまでのたぬきおやじのイメージが打ち破られ、有能な側近に支えられた新しい家康像が提示されている。そうした側近の一人が村雨辰剛の演じるイギリス人舵手の三浦按針(本名ウィリアム・アダムス)だった。ドラマではさほどの出番はないようだが、家康が晩年そばにおいたこのイギリス人が日本の歴史に大きな影響を与えたことをご存じだろうか。

関ヶ原合戦の半年前のこと。豊後国(現・大分県)臼杵の領海に謎の軍艦がたどり着いた。当時のアジア海域で使われていたジャンク船でもなく、ポルトガル人が毎年長崎に寄港させていた巨大なカラック船でもなかった。数少ない乗組員はみな衰弱しきっていて立ち上がることもままならず、臼杵の民衆が積み荷を盗もうと船に乗り込んできても抵抗できなかった。また、言葉も通じない。

翌日には臼杵城主・太田一吉がつかわした役人が船内を調査した。役人からの報告を受けた一吉は首をかしげた。貿易目的で来航した南蛮人の商船かとも思われたが、船には大砲をはじめとする大量の武器が積み込まれ、船員たちも商人というより兵士の風体を帯びていたからである。

1600年、謎の軍艦に乗って大分の臼杵に漂着したアダムス

一吉は報告のため直ちに長崎奉行の寺沢広高に書状を送付した。一吉の書状を受け取った広高はすぐさま検使を臼杵へ派遣し、船を調べさせた。検使が作成し、広高に提出した船の積荷目録によると、大型の大砲19門のほかに大量の武器が積まれていた。明らかにほかの船を攻撃するためのものだった。

ちょうどそのとき、外国船が来航したことを聞き知ったイエズス会士が臼杵に到着した。彼らは最初スペイン船が漂着したと思い込んでいたが、船員と面会したところ、オランダ人であることを知った。イエズス会士はすぐに臼杵城に向かい、「あの船は海賊船だ。船員たちは即刻処刑すべきだ」と一吉に進言した。また、長崎にいたイエズス会士たちも奉行の広高に書状を認め、「漂着した船は海賊船であり、船員たちはポルトガル人とすべてのキリスト教徒の敵である」と訴えた。

検使の報告とイエズス会士の書状を受け取った広高は、その内容をまとめて、大坂城にいた徳川家康に報告書を送り、その処遇についての判断を委ねた。2年ほど前の豊臣秀吉の死後、五大老の首座だった家康は権勢を強め、事実上の天下人として大坂城西の丸で政務を執っていた。この時期の日本の政治的状況は非常に不安定だった。いつ騒乱が起こっても不思議ではなかった。そうしたなか、謎の軍艦の来航についての情報が家康のもとに届いたのである。