※本稿は、西出ひろ子『突然「失礼クリエイター」と呼ばれて』(きなこ出版)の一部を再編集したものです。
突然の就職活動、憧れのマナー講師との出会い
私がマナー講師という仕事を生涯の仕事に決めたのは、ほんの偶然からでした。
就職シーズンを迎えた大学生時代。卒業後の私の就職先は、九州で不動産業を営む父親が地元でまとめてくれることになっていました。それは、あわただしく就職活動に勤しむ友人たちを横目に一人、東京での残りの学生生活を満喫しようとしていたところでした。
ある日、母から衝撃の事実が伝えられました。
「お父さんとお母さんは離婚するから、あなたが戻れる家はもうない。だから東京で就職先をみつけなさい」
急転直下、私は急遽、就職活動を余儀なくされたのです。
つらい思いを引きずりながら大学の学生課に相談しに行ったのが、私の就職活動のスタートでした。そこで紹介された面接指導の講座に先生として来られていたのが、JALの元CA(当時はスチュワーデス)、岩沙元子先生でした。
初めてお会いしたとき、その美しい姿とともに心の優しさにすっかり魅了されました。私はそのかたに一目惚れしてしまったのでした。
そのとき、私は初めてマナー講師という仕事が世の中にあることを知り、同時にマナー講師になりたいと心から思いました。
マナー講師のほとんどはCA出身者だった
どうしたらマナー講師になれるのだろう。自分なりに調べてみると、マナー講師のほとんどはCA出身者ということがわかりました。そこでJAL、ANA、JASという、当時国内にあった航空会社3社を受験することに決めました。
それから岩沙先生も講師陣に加わっているスチュワーデス専門学校に通い始めました。ところが、ネックになったのが視力です。私の目は裸眼で0.02しか見えません。合格基準の0.1にはほど遠かったのです。それでもあきらめきれず、視力回復センターという施設に通って視力強化にも努めました。
一方では、視力検査表の記号の配列をすべて記憶するという、今思えばあきれてしまうほどの努力もしました。人はこれを涙ぐましい努力だと言ってくれますが、一番上の段さえ見えれば、後は記憶でしのげると思ったのです。ところが一番大きな最上段の記号さえ、目を細めなければ判別がつかない。試験官から「目を細めちゃダメ!」と注意され、結果は案の定、不合格でした。
スチュワーデス専門学校の先生方たちからは、外資系の航空会社をすすめられましたが、英語が苦手だった私はあきらめざるを得ませんでした。