「公共か民間か」は本当に区別すべきなのか
総務省の検討会は、2元体制を堅持していくことが重要だと何度も繰り返している。だが、受信者・国民の側から見て、それは必要なのだろか。
Z世代に限らず、私たちはあらゆる情報をインターネット、それもスマホから得ている。だから年代に関係なくスマホ依存症の人の割合が増え続けている。もはや、テレビ時代のように、情報の大部分をテレビから得てはいない。
インターネットはいわば情報の大海だ。そこから情報を得るとき、私たちは、「このソースは公共のもの、このソースは民間のもの」といちいち区別しているだろうか。区別することに意味があるだろうか。それとは関係なく、よく使うメディアから欲しい情報を得ていないだろうか。
それに、民間のものにはバイアスがあるが、公共のものならバイアスがないとはいえない。民放にはスポンサーがいるのでバイアスがかかるとしても、NHKも政府に忖度せざるを得ないがゆえのバイアスがあることはよく知られている。
民放は「公共放送」で、NHKは「民放」
法学者の近江幸治は、NHKには「民間事業者ではなし得ない役割が期待されている」が「民放でなしえないことなどあるのだろうか」と疑問を呈したが、まさにその通りだ。
民放も公共の電波を使うがゆえに、放送法によって公共性を求められている。この意味で、民放は公共放送だ。
逆に、NHKはもともと「私設無線電話施設者」と規定された民間の特殊法人だ。現在にいたるまで、国営機関だったり、公共機関だったりしたことはない。つまり、NHKは民放なのだ。
受信者・国民から見て、2元体制など必要はないし、そもそも現在のインターネット中心の情報空間に2元体制などない。
だが、放送業界の側から見ると、広告収入で運営される民放と受信料で運営されるNHKとの業態上の違いはある。この2元体制の堅持に民放が異を唱えないのは、NHKが広告放送を始めては、自分達の広告収入が減るからだ。実際は、NHKが参入しなくとも、インターネットにシェアを奪われて広告収入は減り続けている。この点で、放送業界にとっても、2元体制は意味が薄い。
NHKを存続させる口実としての2元体制堅持はナンセンスだ。