柳井 日本にマクドナルドを持ってきた藤田田さんもアウトサイダー。もともとはハンドバッグやダイヤモンドの輸入をしていたのですが、レイ・クロックと会って、飲食業に参入した。業界のなかにいるとなかなかベンチャー企業を興すことはできにくいのではないでしょうか。

 藤田さんといえば私にはいくつもの思い出があります。私は藤田さんが書いた『ユダヤの商法』(藤田田著)を通して、マクドナルドとレイ・クロックがいかに優れているかを知ったのですから。まだ久留米にいた頃ですから高校生で、アメリカへ留学する前のことでした。『ユダヤの商法』が出た昭和40年代後半、日本の小売店や飲食業はまだ産業とはいえなかった。デパートやスーパーマーケットは「科学的な」経営に移りつつあったけれど、小売店、飲食業は独立した店舗がそれぞれの町にあっただけ。そんな時代にマクドナルドの経営戦略を知って非常に興味を持ちました。

柳井 僕もその本は読みました。文章に線を引いて何度も何度も読み返したのを覚えている。『ユダヤの商法』は著者に教養があって、しかもエンターテイナーでないと書けない本です。藤田さんならではの本です。

 もうひとつ、その本から知ったのはノウハウが金になるということ。日本の場合、ノウハウは「タダ」と思われがちですが、経営ノウハウは権利であり、お金がもらえる対象だと書いてあった。なるほどと感心したのを覚えている。そして、藤田さんは日本に移植してきたマクドナルドのシステムをすべてレイ・クロックさんから教わったという。原型をつくったレイ・クロックさんはどんな人だろうと想像しました。

――そして、孫さんは藤田さんに面会を求める。

 はい。16歳で高校を中退してアメリカへ行ったのですが、夏休みで日本に戻ったときにどうしても藤田さんに会いたいと思った。久留米から毎日毎日、藤田さんの秘書に電話したんですよ。