かつて参院のドンと言われ、政界引退後も茂木派に隠然たる影響力を保持していた青木幹雄元官房長官が6月に他界し、茂木氏による派閥掌握が加速したことも岸田首相の警戒感をかき立てた。

自民党内のカネと人事を差配し、選挙対策と国会対策にも影響力を行使できる幹事長ポストに留任させたら、茂木氏の政治基盤はさらに強まり、来年秋の総裁選で自らを脅かす存在となる――。

岸田首相は茂木氏を最も恐れた。今回の人事の最大の狙いは「茂木氏を幹事長から外すこと」にあったのだ。

小渕優子氏の起用、主流派組み換えも探っていた

岸田首相は茂木氏の足元を揺さぶるため、茂木派の次世代ホープである小渕優子元経済産業相を幹事長か官房長官に抜擢し、ポスト岸田の有力候補に引き上げることも画策した。小渕氏の父の小渕恵三氏は首相在任中に病に倒れ、当時の官房長官だった青木氏らが密室協議で後継首相に担ぎ出したのが、清和会(現安倍派)のドンである森喜朗氏だった。その青木氏と森氏が茂木氏を毛嫌いし、小渕氏を寵愛して彼女の登用を繰り返し求めてきたことも、岸田首相の背中を押した。

小渕優子(写真=首相官邸/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)
小渕優子氏(写真=首相官邸/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

岸田政権は第2派閥の麻生派、第3派閥の茂木派、第4派閥の岸田派で主流派を構成し、第5派閥の二階派と無派閥30人程度を束ねる菅義偉前首相の非主流派を抑え込んできた。主流3派が結束し、後継会長を決められず5人衆(萩生田光一政調会長、西村康稔経済産業相、松野博一官房長官、世耕弘成参院幹事長、高木毅国会対策委員長)の集団指導体制に入った最大派閥・安倍派を分断しておくことが、岸田政権の基本戦略だった。

けれども茂木氏を幹事長から外せば、メンツ丸潰れの麻生氏は激怒し、主流派の結束は乱れる。そこで岸田首相は、非主流派の菅氏や二階氏と親密な森山裕選挙対策委員長(少数派閥の森山派)を後任幹事長に起用し、主流派を組み替えることも探っていた。

麻生氏に押し切られ、人事構想は根底から崩れた

麻生・茂木両氏の巻き返しは凄まじかった。両氏が水面下で折衝してきた国民民主党の連立入り情報をマスコミに流し、同党との窓口である茂木幹事長を交代させにくくした。

さらに麻生氏は台湾を訪問して対中脅威論を煽り、親中派で知られる二階氏との対立軸を鮮明にした。麻生・茂木両氏を冷遇して菅・二階氏と連携を深めれば(つまり、幹事長を茂木氏から森山氏へ交代させれば)岸田首相は中国との融和に傾いたという世論の反発が高まる空気を醸成して、幹事長交代を激しく牽制したのである。

内閣改造直前に菅氏や河野氏の側近として知られる秋本真利衆院議員が東京地検特捜部に洋上風力発電事業をめぐる受託収賄容疑で逮捕されたことも、岸田首相に主流派の組み換えをためらわせた。