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©「福田村事件」プロジェクト2023
<100年前の関東大震災後の混乱の中、在日朝鮮人だけでなく日本人も虐殺された事実が……。不安と恐怖が高まれば、「集団の暴走」はいつの時代にも起こり得る。歴史の教訓について:大橋希>

1923年9月1日の関東大震災から5日後、千葉県福田村(現・野田市)で朝鮮人と間違われた日本人9人が村人に殺害される事件があった。彼らは香川から行商に来ていた被差別部落の人々で、被害者には幼児や妊婦もいた。

当時、流言飛語の中で多くの朝鮮人や中国人が軍や警察、在郷軍人らによる自警団に殺されたことはよく知られているが、その延長線上にある福田村事件はほとんど語られてこなかった。

これを題材にしたのが森達也監督の『福田村事件』だ(9月1日公開)。井浦新と田中麗奈が朝鮮帰りの夫婦、永山瑛太が行商団の頭、東出昌大、コムアイ、水道橋博士、豊原功補らが村人を演じる。

なぜあのようなことが起きたのかを考える上で、「加害側をしっかり描きたかった」という森に本誌・大橋希が話を聞いた。

朝鮮帰りの澤田(井浦新)と妻(田中麗奈) c「福田村事件」プロジェクト2023
朝鮮帰りの澤田(井浦新)と妻(田中麗奈) ©「福田村事件」プロジェクト2023

――福田村事件について知ったのは約20年も前だというが。

当時、ドキュメンタリー番組にできないかと思い、知り合いのプロデューサーなど何人かに企画書を持っていったが全然だめだった。

――この題材は無理だと? 今回もクラウドファンディングで制作資金を集めた。

はっきり言わないけど、たぶんそうです。2016年の『FAKE』発表後、そろそろ劇映画をやりたいと思った。そこで「あ、そうだ、この事件をドキュメンタリーでなくドラマにしたら映画として成立するな」と考えて、企画書を作って映画会社を回った。

でもそのときもやっぱり、「いや……」みたいな反応ばかり。そうこうしているうちに僕が監督した映画『i-新聞記者ドキュメント-』が「キネマ旬報ベスト・テン」で賞を取り、その授賞式の控え室で荒井晴彦さんと会い、一緒にやろうかって言われたのが始まりです。結局、映画会社はどこも引き受けてくれなかったが。

荒井さんがなんでこの事件を知ったかというと、中川五郎さんの歌「1923年福田村の虐殺」を聞いたことがきっかけ。僕はテレビじゃ無理だと諦めた後、『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』という本に福田村事件について書いた。

中川さんはそれを読んで歌にしたんです。それを聞いた荒井さんがこれを映画にしようと動いていた。だから(一緒にやることになったのは)偶然でもあるし、必然でもある。