「枝野個人商店」からの脱却が必要だった
ひとつは、立憲民主党は野党第1党、つまり「公器」になりました。「公器」としての役割を果たすためには「枝野個人商店」と呼ばれる状況から脱しなければいけない、と考えたのです。結党してから私がずっと代表を続けていれば、そういう揶揄から逃げられません。どこかで一度は私が引いて、他の人が代表を務める必要があります。いいタイミングだと思いました。
もうひとつは、2017年に立憲民主党が、希望の党騒動という経緯のなかでバタバタと結党され、さらに「1度の選挙で最大野党になる」という想定外のことが起きてしまったため、私自身いろいろな「準備」が整っていませんでした。というより、それまでの「準備」では足りなくなったのです。
準備とは「首相になる準備」のことです。私は、立憲民主党の結党直前にあった民進党代表選(2017年9月)に立候補しているので、その時点で首相になる準備自体はできているつもりでした。でも、立憲民主党という新しい「器」を政権政党に育てるための準備と、私自身のさらなるインプットが必要だと考えました。
それは結党の時から訴えてきた「草の根民主主義」であり「ボトムアップの政治」の実践です。草の根の皆さんの声に耳を傾けることを、代表の仕事と両立させるのには限界がありました。
サイレントマジョリティーの声を聴く
代表を辞めた後、この2年近くの時間は、そのインプットの部分にかなりエネルギーを注いできました。非常に有意義な時間を過ごせたと思っています。
常に意識していたのは「サイレントマジョリティーの声に耳を傾ける」ことです。
代表をやっていると「ノイジーな意見」はたくさん聞けます。非常に声の大きい、特定の意見が、どうしても耳に入りやすいのです。
でも、政治に対して積極的に声を上げられない人たちがいます。政治と、自分の抱えている問題が、つながっていることに気づいていないのです。そういう人たちの声をいかに感じるか、ということを、一貫して意識してきました。
例えば地方の視察で、質疑応答の時間があります。代表時代もゼロではありませんでしたが、ものすごく慌ただしい。今なら30分とか1時間とか、長い時間が取れます。
大事なことは、実際に意見を言ったり、質問したりする人たちだけではありません。それ以上に大切なのは「その人たちの意見や質問を聞いている人たちがどんな反応をしているのか」を見ることです。そこにサイレントマジョリティーの声があると思います。
そんな中で感じたことは、3つあります。