二重国籍を認めるようになった歴史的背景
国籍の基本的な機能は、その国に住むことが保証され、海外にあっても本国政府の保護を受けられることだ。ところが、民主主義になると、参政権と兵役の義務が加わり、第一次世界大戦では仏独などの二重国籍者が厄介なことになった。
1930年に国際連盟の会議で「国籍抵触条約」が結ばれて、単一国籍を原則としつつ、現実に存在する二重国籍への対処が定められた。
欧州諸国では父系主義(出生地にかかわらず、父親の国籍を与える考え方)だが、米国などの新大陸では出生地主義(出生した国の国籍を与える考え方)が主流で、移民がなかなか自国の国籍を取ってくれないので、二重国籍にも寛容になったようだ。
戦後は、男女同権が進展したので父系主義が取りにくくなり、二重国籍が増えている。蓮舫氏の場合、生まれたときは父親の「中華民国籍」に入ったが、法律が改正されたので日本国籍も取得し、成人しても国籍選択をしていなかった。
フランス、アメリカでは二重国籍を規制する動き
一方、移民規制や脱税などの犯罪防止の観点で、二重国籍を認める範囲を狭くする動きがある。フランスでは出生地主義と血統主義の両方を採用しており、フランスで生まれた私の長男は将来、フランス国籍を取得する権利があった。しかし、反移民法と言われる1993年のパスクワ法の成立で、18歳になるまでに5年間の居住が必要になり、権利がなくなった。
最近ではテロ対策でさらに規制が強化され、国籍が剝奪されることも増えている。また、米国は、二重国籍を認めてはいるが、「方針としては支持していない」と米国大使館のホームページに明記しているし、大統領選挙に名乗りを上げている共和党のデサンティス・フロリダ州知事は、出生地主義の廃止を公約とし、移民・難民の子に米国籍を与えないことを主張している。
欧米、とくにヨーロッパでは、兵役義務が二重国籍の抑制要因になっていたが、多くの国で停止され、二重国籍から生じるデメリットが一つ減った。ただし、国民意識の低下を防ぐため、男女とも対象にした徴兵制(実質は軍事訓練)を復活させる傾向があり、事態は複雑だ。