優秀な若者がこぞって医学部を目指す日本
ただし断っておくが、若者が優秀でなくなったとか、そういうことを言っているのではない。どんな時代においても優秀な若者というのは必ず一定数現れている。この令和の時代においても、未知の才能を秘めた大勢の優秀な若者が全国には間違いなく散らばっていることだろう。
問題はそこではない。そうではなくて、本来ならば社会経済に大きなイノベーションやパラダイムシフトを起こしうる日本の若き最優秀層が、もはやそのような「革新」を起こすような方向では自身の知能や才覚を活かそうとはしていないということだ。
社会に大きなイノベーションを起こしうるポテンシャルを持った日本の若い最優秀層はこぞって医学部を目指しているのがその象徴だといえよう。かれらは医師になってこの国の最後の成長産業である「高齢者経済」側で最大の恩恵を得る人間となってとりあえず生き延びる道を選んでいる。
では医学部を目指さないタイプの最優秀層はどうしているのかといえば、かれらもやはり「革新」を志しているわけではない。「高齢経済」の重たい搾取から逃れるために、少数精鋭でもって法人を立てて生活の糧を得る、いわゆる「マイクロ起業」を行い、日本の税制の裏を(あくまで合法的な範囲でだが)かきながら個人最適化して生きていることがもっぱらだ。
俊英たちは「自己防衛」のために能力を使う
日本の若き俊英たちは、医師となって医療や介護の巨大な経済圏の軍門に下り「体制側」として――傾く船ではあるのはわかっているが――どうにかしがみつくか、あるいは「マイクロ起業」によって徹底的な節税と資産形成をしていくかのふたつが主流になっている。いずれにしても、かれらは同世代において並外れた頭脳やスキルやバイタリティを持ちながら、その才覚を社会や経済や政治の停滞を覆すためには用いない。あくまで「自己防衛」のためにこそ用いていることでは共通している。
「みんな事なかれ主義で、若者に覇気がない」と世の中の年長者たちはがっかりしているのかもしれないが、若者側にもそれなりの事情がある。実際のところ若者に残された道はこれくらいしかないのだ。
日本の知的トップ層がこぞって医学部に進む、あるいは子どもを医学部に進ませようとするエリート層の親たちがいることは、この社会の「高齢経済」をさらに盤石にしており、同時に社会から若い活力を奪ってしまっている。
見方を変えればこれは、いまの「高齢経済」というヘゲモニーを壊してしまうようなポテンシャルを本来的には持っている者(危険分子)をうまく「体制側エリート」として懐柔していわば“骨抜き”にしてしまうようなシステムが実質的に出来上がっているということでもある。150年前に生まれたなら倒幕運動の立役者になっていたかもしれないような傑物も、いまでは医学部生やマイクロ起業家になって「自己防衛」に専念している。