界隈に24軒あった書店は、いまや2軒に

長崎出身の奈良さんが、東京から妻のふるさとである鳥取市に移住し、鳥取駅前の目抜き通りで定有堂書店を開業したとき、界隈には24軒の書店があった。あるとき、ふらりとやってきた客が「なんだ、本好きが始めた本屋だっていうけど、たいしたことないな」と言う。どういうことですか、と奈良さんが尋ねると、その人は、具体的に本の名前や人文書出版社を挙げた。教えられるままにそれらの出版社の本を仕入れると手応えがあった。この出会いが人文書を中心とした定有堂の棚づくりの原点だ。

現在、日本のあちこちで、町の書店が消え去ろうとしているが、入れ替わるように、独自の選書に特徴づけられた独立書店は存在感を増している。鳥取のこの目抜き通りでも、奈良さんがその人の言葉を真剣に受け止めていなかったら、果たして定有堂は43年も続いただろうか。鳥取の本読みのひと言が、定有堂の方向性に関わったのだ。定有堂が閉店した現在、界隈の書店は2軒になった。

43年の歴史に幕を下ろした定有堂書店
筆者撮影
43年の歴史に幕を下ろした定有堂書店

38年にわたり400回を超えて続く「読む会」

「読む会」を始めたのは地元の名物高校教師だった。地方史の研究者でもあり、のちに鳥取県立図書館長や鳥取県立公文書館長を務めたその人、濱崎洋三さんは「大きな声でものを言う人間を信じるな」と言い、他者の意見を否定せず自身の考えを深めることを大切にした。濱崎さんが60歳で亡くなったのち「読む会」を引き継いだのが、前述の岩田さんだ。「読む会」は38年にわたり400回を超えて続いてきた。

定有堂書店が開いている「読む会」の様子
筆者撮影
定有堂書店が開いている「読む会」の様子

ミニコミ誌「音信不通」は、地元の歴史家、教師、詩人など多彩な書き手の文章からなる。力ある立場から距離をとり、静かに目立たず、自分で考えることを手放さない人たちの存在を明らかにしてきた。