アート作品のような容器で、ほかの香水を圧倒
男の言いなりにならない「No.5」は、飾り気のない実用本位のようなガラスの容器が特徴で、当時、実に斬新な印象だった。これも20年代のアール・デコ時代が生み出したデザインであると言える。
その媚びないストイックさはアート作品のようで、アメリカのMoMA(ニューヨーク近代美術館)にも殿堂入りしている。
アール・ヌーボー時代の装飾的で文学的でポエムのような表現の名前を冠した香水を、古臭い、時代遅れだと消滅させるほどの勢いで、シャネルの香水はデビューした。
身に着けると、すぐさま消えていくのが香水だと思われていたが、シャネルの香水は、それまで誰も試みることのなかった有機化合物を混合。香りが持続することも、当時はほかに類を見なかったのだ。
香水には自分の体臭と混ざりあい、自分らしい香りが生まれるための十分な持続力が必要なのだから。
本当に発明家のように功績を重ねていくココ・シャネル。
エルネスト・ボーという、ロシア皇室ご用達の調香師と言われた専門家との出会いを得て、唯一無二の香水を誕生させるに至った。彼女自身が完成後に、ボーには本当に苦労をかけたものだと吐露するほど、思いの丈を彼に投げかけ、世界一高価な香水をつくることをめざした。
マリリン・モンローも愛用し、ロングセラーに
その想いを彼女は、ベージュと黒の製品カタログの中にメッセージにして込めた。
「洗練されたセンスをお持ちの、選び抜かれたお客さまのものでなければいけません」
当初はカンボン通りの店とドーヴィルの店で顧客のためだけに販売された。
その後、香水の会社設立に伴い、第二次世界大戦終結の時にも、戦勝国の兵士たちの高価な土産物として重宝され、負けを知らないロングセラーのアイテムとなって、いまに至っている。
ハリウッドで人気絶頂の、スター女優マリリン・モンローが、「寝るときはシャネルの『No.5』を着ている」と発言したことも有名だ。
この影響力は絶大で、シャネルが企まなくても、本物だからこそ必然的に評価は高まり広がっていく。
シャネル自身はシャネル・スーツにたっぷりと染み込ませ、彼女が近づくとすぐわかると言われるほど愛用していたのだ。
彼女のつくるものは、すべてまずは自分がつくりたいものでしかなかったのだから。