自閉症研究の裏側にあった「政治的な背景」

【加藤】その翌年に、ハンス・アスペルガーが知的障害を伴う「古典的自閉症」とは異なる、高い知能を持った4人の子どもの症例を報告しています。これは後にアスペルガー症候群と呼ばれますが、第2次世界大戦で枢軸国側だったドイツ周辺国(オーストリア)で活動していたことなどが原因で、当時は彼の研究は埋もれてしまいました。

自閉症の原因を母親の育児の失敗に求めるのではなく、脳の機能障害であると考えるようになったのは1960年代のことです。マイケル・ラターと、彼の共同研究者だったジョン・ウィング、そしてジョンの妻のローナ・ウィングらによる研究グループが、自閉症は母原病ではなく、脳の機能障害であることをイギリスでの地道な疫学的研究によって証明しました。

さらに、ローナ・ウィングが、アスペルガーの先駆的研究を発見して「アスペルガー症候群」と呼ぶことを提唱しました(1981)。研究に触れつつ、「知能が高く、かつ、自閉症の症状を抱えている人」について論文で言及しました。古典的自閉症を母原病のくびきから解放して世界的名声を得た彼女の提唱によって、アスペルガー症候群という概念は世界中に拡散しました。

――「大人の発達障害」が見過ごされてきた背景には、政治的な理由も関係していたのですね。

【加藤】はい。日本では1960年代後半に盛り上がった学生運動のなかで、自閉症の原因を精神病理などの観点から分析するグループと、生物学的精神医学の観点から分析するグループとのあいだで対立がありました。

私が若手の精神科医だったころにカナーやアスペルガーの文献を読みあさっていましたが、学生のころは上記のような対立に巻き込まれていたので、彼らの研究はとても刺激的でした。自閉症研究の歴史を語るうえで、政治は切っても切り離せない問題だったと言えます。

受診者の半数以上が発達障害ではない

――著書で「外来患者の半数以上が実際には発達障害ではない」と書かれています。どういうことなのでしょうか。

【加藤】たとえば、患者本人から「自分は発達障害ではないか?」という訴えがある場合、その多くは発達障害ではありません。というのも、発達障害の当事者のほとんどは「自分に病気がある」という認識がないからです。

――それではなぜ「自分は発達障害ではないか?」と訴える患者が増えているのでしょうか。

【加藤】私は2018年頃から話題になった「発達障害グレーゾーン」という言葉の影響が大きいのではないかと考えています。発達障害グレーゾーンとは、発達障害ではないけれど、その傾向や特徴を持っている人を指す「俗称」です。

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撮影=川しまゆうこ
東京大学名誉教授の加藤進昌さん

しかも、この言葉には「知的で天才肌の変わっている人」というニュアンスがあります。たとえば、「モーツァルトはアスペルガー症候群だった」といった言説が広がったことで、「グレーゾーンがカッコいい」と受け止める人が増えているのではないでしょうか。私はこうした風潮には問題があると考えています。