異動の打診を受けてから2週間後、周囲に事前の相談をすることもなく、いきなり辞表を提出した。当然会社側は引きとめたが、彼の決意が固いと知ると、引継ぎや残務整理の期間ということで翌年1月中旬までは社籍が残る手はずを整えてくれた。山口氏が若手ながら懸命に仕事に打ち込んでいたからこその、餞別せんべつ代わりだったのだろう。

転職活動さえ始めていなかった段階での退職願い。自身の能力を頼みとした、若さゆえの楽観がそうさせたのか。次の当てが何もないことへの不安などはなかったのだろうか。

「めちゃくちゃありましたよ。辞表が受理された途端、〈いらんこと言ってしまった〉と怖くなりました。もう後戻りできないわけですからね。時間を置かずにどこか決まるだろう、なんて自信はまるでなかったです」

今を逃すともう後がない

退路は絶った。さあ尻に火が付いた。

「とにかく次の仕事を決めなきゃと気象予報士関係の本を買ってきました。その巻末にあった気象会社の連絡先リストの上から順に電話をかけ、求人があるか尋ねることにしたんです」

まず最上段にあった会社に連絡してみると、代表受付の女性は採用なんてしてませんと冷淡に言い放ち、ガチャリと電話を切った。

山口氏
撮影=プレジデントオンライン編集部
製薬会社からの転職時には、ウェザーニューズに一世一代の猛アタックをかけたと振り返る。

「もちろん私の方が勝手に電話をかけたわけですが、営業をやってた人間にすれば〈先にそっちから切るのは、マナーとしてなしでしょう?〉ですよ……。ブチ切れながらリスト2番目のウェザーニューズに問い合わせてみると、今度は総務の人が『いい方がいたら採ってますよ』と言ってくれたんです」

すぐに履歴書を送り、返事が来るのを待った。しかし2週間待っても音沙汰がない。痺れを切らし、いつ面談していただけますかと再度問い合わせた。

「学生時代の就職活動でも、採用面接でグイグイ前のめりに自分を売り込んだことなんてないんです。そんな積極性というか押しの強さを出したのは、後にも先にも人生その1回きり。一世一代の大冒険ですよ。今を逃すともうない、正式に製薬会社を退職する1月までに決め切れなかったらどうなるかわからない、と相当焦っていたんだと思います」

結局12月下旬に初回面接を受け、翌97年1月20日の社長面接で採用を取り付けた。

「入社希望日を聞かれたので『明日からでも来られますっ』と答えたんですけど、同席していた総務の方に『無理でしょ?』ってさらりと諫められました。で、1回京都の実家に帰って21日に身支度をし、翌日千葉へ移って23日に初出社したんです」