放送禁止用語を口にしたアイドル
これなどはまだ可愛いほうで、松本明子の場合は笑ってすませられないものだった。
その日の『オールナイトフジ』はニッポン放送の『オールナイトニッポン』とのコラボ企画で、『オールナイトフジ』のスタジオに『オールナイトニッポン』のブースが設置され、両方で生放送がおこなわれていた。
DJは笑福亭鶴光。鶴光と言えば下ネタが持ち味だが、出演していた松本明子は鶴光や片岡鶴太郎にそそのかされて女性器を意味する4文字の単語をはっきりと発してしまった。当然、放送禁止用語である。その後松本明子は、結果的に2年弱に及ぶ芸能活動の謹慎を余儀なくされた。
極め付きは、とんねるずの有名な「テレビカメラ破壊事件」だろう。
まだ20代前半だったとんねるずの2人は、この『オールナイトフジ』がブレークのきっかけだった。まさに「なんでもあり」を体現したような破天荒そのものの自由な振る舞いは、若者の圧倒的な支持を受ける。彼らは若者のカリスマ的存在となった。
とんねるずの最初のヒット曲が、「一気!」(1984年発売)である。大学生の宴会ソング的なノリのいい曲で、とんねるずは応援団風の学ラン姿で歌っていた。
その「一気!」を『オールナイトフジ』で生披露したときのこと。スタジオ内の盛り上がりでテンションも上がったのか、石橋貴明が自分たちを撮っていたテレビカメラをつかんで突然引っ張り始めた。
そしてとうとうテレビカメラを歌の最中に倒してしまい、レンズなどを破損させてしまったのである。呆然とする石橋、そして「オレ知らねー」と言いながら立ち尽くす木梨憲武。カメラはおよそ1500万円するものだったという。
それまでの深夜番組との違い
こうした『オールナイトフジ』の「なんでもあり」感は、深夜番組が若者向けにシフトした時代の変化が生んだものである。
それまでテレビの深夜番組は、『11PM』(日本テレビ系、1965年放送開始)のように大人の男性、平たく言えば「お父さん」向けのものだった。
それに対し『オールナイトフジ』は、『11PM』からお色気要素などは受け継いだものの、深夜を“若者の解放区”へとドラスティックに変えた。「放送終了時間未定」も、そうした解放感の表れと言っていい。