タイ系イギリス人の古物商であるダグラス・ラッチフォードは、2020年に死亡するまで、寺院の遺跡にヘリで乗り込み石像などをさらっていく冒険家として知られていた。

長い内戦が続いたカンボジアで、有名なアンコールワット近くのクメール寺院に押しかけると、12世紀の貴重な遺跡から文化財をごっそりと盗み出していた。出所を隠して売りさばこうとしたことが発覚し、2019年、ニューヨークの連邦検事局から起訴されている。

ラッチフォード氏の言い分はこうだ。盗み出した当時、カンボジアでは内戦が続き、銃弾が飛び交っていた。自分が持ち出さなければ過激派組織の射撃訓練の的となり、粉々に破壊されていたかもしれない。

氏が真に文化財保護の目的で遺跡荒らしを行ったかは定かでないが、結果として一定の効果があったことは否定できない。カンボジア政府は2008年、学術的貢献と美術品の保存の功績を認め、ラッチフォード氏にナイトの称号を授与している。

トラファルガー広場
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ドイツ外相は「誤り」を認めた

CNNが昨年8月に報じたところによると、ラッチフォード氏が関与した文化財の一部がカンボジアへ返還された。クメール美術の権威であったラッチフォード氏だが、米国土安全保障省調査局のリッキー・パテル特別捜査官は同時に、「何年も違法な事業を行っていた」「略奪品をアメリカに密輸した」とも指摘している。

文化財の返還は、ひとつの大きな流れとなっている。侵略や植民地化が広く行われていた過去には、美術品など文化財を略奪することが勝者の特権でもあった。

だが、昨今の国際社会では国家間の協調が重視される。過去に奪ったものを素知らぬ顔で所有し続けることに対し、道義的責任が問われる時代へと変化した。

昨年12月には、かつてイギリスが現ナイジェリアから略奪し、その後ドイツの手に渡ったベナン共和国のブロンズ像が、ナイジェリアの地に戻った。

米ワシントン・ポスト紙によると、ドイツのアンナレーナ・ベアボック外相は演説を通じ、「(イギリスが)持ち出したのは誤りだった。しかし、(ドイツが)保管したのもまた誤りだった」と述べ、自国の責をストレートに認めている。

ナイジェリア文化相は「(返還は)20年前ならば想像もできなかった」と演説し、ドイツへの謝意を示した。自国の不利を認めることで、かえって信頼関係が醸成された好例と言えるだろう。