介護保険を利用せず全力で父親を介護

後藤さんが清掃会社で働いて8年くらいが経った頃、父親が介護の必要な状態になった。介護がスタートしてからも、当初は後藤さんが出かける前に食事を作っておけば、父親は自分で食べることができた。しかし時間の経過とともに一人では食事が取れなくなり、トイレなどの介助も必要になった。

老人ホームで手を握り締めたまま座っている先輩女性のクロップドショット
写真=iStock.com/Goodboy Picture Company
※写真はイメージです

当初の3年くらいは介護保険を利用して、日中はヘルパーの介護を受けていたが、父親はヘルパーに頼ることを嫌がった。他人が家に入ることが気に入らなかったようだ。自分がひきこもっても、見守ってくれていた父親を、後藤さんは自分で介護することに決めた。途中からは後藤さんが、介護のすべてを担うようになった。その結果、清掃の仕事を辞めざるをえなかった。

後藤さんが介護に専念するようになってからは、日常の介護に加え、病院の送り迎えや病院内での受診の受付や待機など、父親の生活のすべてを後藤さんが担ってきた。「入浴やデイサービスなどで介護保険を使ったらどうか?」というケアマネージャーの勧めも聞かず、24時間365日、父親の介護に全精力を注いできた。

5年を超える介護生活は、父親が心臓の病気を悪化させたことで、2年前に終わりを迎えた。父親が亡くなった頃の記憶はほとんどないそうだが、葬式が終わって、家にひとりでいると、たまらないほど寂しさを感じたという。

近所の人が心配をして支援団体につながった

途中から介護保険を使わなくなっていた後藤さんだが、父親が亡くなった後の後藤さんの生活を、近所の人やケアマネージャーが心配してくれた。ケアマネージャーは「近くに用事があったから」と言って、後藤家を訪問。げっそりと痩せて、焦点の合わない感じで話す後藤さんの様子を見て、自治体に相談を持ち掛けてくれた。

その結果、自治体のほうで支援案として、食材を届けたり、就労のアドバイスをしてくれた。後藤さんの状態から、就労は難しいだろうという判断がなされ、今後は働かない状態で、後藤さんの生活設計について考えなければならないという課題が持ち上がった。

筆者はある支援団体での活動もしているため、「後藤さんの経済状況を確認して、生活設計についてのアドバイスをしてほしい」という依頼を受けることになった。支援団体を通してであれば、後藤さんの相談を無料で繰り返し受けることができる。

後藤さんには、父親が遺してくれた貯蓄が700万円ほどあった。とはいえ、父親が亡くなってからの2年間は仕事をしていないため、毎月10万円くらいずつ減って、後藤さんと面会した時には500万円を切っていた。げっそりとしていたのは、貯蓄が減るのが怖くて食事を摂るのを控えていたかららしい。

当初は、ゆっくりと質問を投げかけても、なかなか反応を示してくれなかった後藤さんだが、何度か面会するうちに、少しずつ不安を口にしてくれるようになった。