50年前の「日本列島改造論」はいまだに生きている
(前編から続く)
――『覇王の轍』は、日本各地の新幹線延伸計画の背景には、いまだに田中角栄の“日本列島改造論”が生きていると言及されていますね。
田中角栄は1972年に発表した日本列島改造論で首都圏と地方の格差解消を目指し、全国に9000キロにわたる新幹線鉄道網の建設を計画しました。
実は、ぼくが生まれてはじめて見た政治家が田中角栄だったんです。
ぼくは角さんのお膝元だった新潟県三条市で生まれ育ちました。確かあれは、昭和46年の参院選です。候補者の応援演説にきた角さんを見た。ヘリコプターで地元の競馬場に降り立った角さんは、まだローターがまわっているのにもかかわらずマイクも使わずに「よお!」とあいさつした。その声がよく通るんですよ。
まだ子どもでしたが「このおじさんはすげえな」と思ったのを覚えています。いまになって振り返るとぼくは日本列島改造論の恩恵を受けていた。新潟県に高速道路は真っ先にできたし、中学時代には上越新幹線が通りましたから。
新幹線開通でむしろ過疎化は加速する
とはいえ田中角栄はすでに歴史になっていると考えていました。
政治記者をテーマにした『トップリーグ』という小説の取材ではそれまで口が堅かった関係者たちが「もう歴史になったから」と日本列島改造論や田中角栄について、ざっくばらんに語ってくれたんです。
でも今回取材してみると田中角栄の日本列島改造論は歴史どころか、いまだに生きていた。
東海道新幹線や山陽新幹線はドル箱で常に満席ですが、北海道新幹線などは空気を運んでいると揶揄されるほどガラガラで利用者がいません。それなのに、どうして日本全国を新幹線で結ぶのか。それは、50年前に計画された日本列島改造論に従って、延伸工事が行われているからです。
――人口減少など社会状況が変化しているにもかかわらず、50年前の計画に沿って事業が行われている事実に驚かされます。
本当にそうなんですよ。JRは新幹線の駅ができると町が栄えると喧伝していますが、現実には過疎化が進んでシャッター通りになる町がほとんどです。新幹線が開通すると若者が都会に出て行きやすくなる。
新幹線から話はそれますが、ぼくが毎年遊びに行く沖縄の伊良部島でも似たような現象が起きています。2015年に伊良部島と宮古島をつなぐ伊良部大橋が架かった途端に過疎に拍車がかかった。若者がみんな地元を離れて、宮古島に行ってしまうからです。