非正社員がいなければ成功しなかった

つくづく感心するのは、こうした戦略を動かす戦略の中心が非正社員だったということだ。当時のホットペッパー事業は、1500名体制で85%が非正社員だった。正社員に依存するよりもコスト優位が期待できるのは言うまでもない。しかし、これにしても人件費抑制だけを目的としているわけではない。平尾さんは「もし正社員だけでやっていたら、絶対に成功しなかった」と言い切っている。「資質と想いとスピード」において、むしろ非正社員のほうが優れているというのである。

なぜか。非正社員は新事業に取り組む際に失うものがない。だから「冒険ができる」。ところが、正社員となると、どうしても自社内の評価が上がるか下がるかを気にしてしまう。保身に汲々としているような正社員は、ストーリー実行の障害物でしかない。非正社員であれば顧客にとって正しいか正しくないかを基準に動くことができる。顧客と正面から向き合ったプチコン、そこで集客のストーリーを提案できるかどうかがクライアント獲得のカギとなる。ここまで見てきたように、ホットペッパーの戦略ストーリーは、平尾さんの下に集まった非正社員の心に火をつけるものだったのである。

一人ひとりが自分の損得勘定にとらわれず、戦略を正しく実行するような組織をつくるため、平尾さんは「人と人との関わり」をスタッフのコアスキルとして強調した。「何をやったかではなく誰とやったかが心に残る」というメッセージである。また「何のためにやっているのか」という「目的コミュニケーション」を日常会話に浸透させた。「何のために」が抜けて「どのように」ばかりが先行する事業は必ず破綻する、というのが平尾さんの見解である。

サンロクマルがまさにそうした失敗をしている。サンロクマルは営業を外部に業務委託していた。委託をされた人間は、営業目標を達成するために「どうやって」ばかり考える。「何のために」が抜け落ち、全体としての戦略ストーリーはどうでもよくなってしまう。残るのは「お金を稼ぐ」という営業マンのモチベーションだけになる。外部への業務委託を正当化していたのが、「歩合の報酬体系であれば、委託された人間が自分の報酬を極大化するために、自律的に最適の動きをしてくれるはずだ」という理屈である。しかし、平尾さんに言わせれば金銭だけの動機づけはマネジメントの放棄に他ならない。サンロクマルは「セルフ・マネジメント」の美名のもとに、数字の目標を手っ取り早く達成するための安直な方法に流れていたのである。

そこに一貫したストーリーがあるからこそ、戦略が組織の隅々まで浸透し、人々の心にスイッチが入り、無理なく実行へと移される。戦略ストーリーは誰もが簡単に理解し、行動できるようなものでなければならない。しかし、これは仕事を「誰がやってもいい」作業に落とし込む「マニュアル化」とは似て非なるものである。あくまでも、人間の気持ちや判断が入ってはじめて動くのが戦略であり、そうでなければ人が育たない、と平尾さんは言う。

たとえば「念仏」。「コア商圏・飲食・居酒屋・9分の1・3回連続受注・20件訪問・インデックス営業」というのが念仏の中身なのだが、これはようするに戦略ストーリーの構成要素をそのまま並べたものである。これを朝会でも、キックオフミーティングでも、表彰者スピーチでも、飲み会でも、それこそ独り言でも誰もが口ずさむ状態にまで浸透させる。四六時中、口に出しているから「念仏」なのだ。戦略ストーリーを全員で共有して、実行するためのシンプルな仕組みではあるが、決してマニュアルではない。念仏で戦略ストーリーを意識させることはできるが、あとは一人一人がストーリーの実現に向けて何をすればよいのかを考えなければならない。

僕にとって本書で最も印象的だったエピソードをあげておこう。「提案営業」「プチコン」をいよいよ実行に移すくだりである。「クライアントに提案営業をしてこい、プチコンで広告をとってこい」と指示を出すのは簡単である。プチコンによる提案営業は戦略ストーリーの最重要な要素ではあるのだが、現実に実行するのは容易ではない。お客さんの多くは飲食店やお店屋さんである。暇な時間を狙っていっても、仕込みだ何だで忙しくしている。まともに話を聞いてもらうどころか、店の中に入れてもらいうのもままならないのが現実である。

優れた戦略ストーリーは、一つ一つの打ち手がしっかりと論理でつながっていなければならない。論理でつながっていれば、無理なく実行できる。論理的であるがゆえに、ストーリーは「強く」なるのである。論理の裏づけがなければ、無理が生じる。無理を承知で、現場の過度の頑張りに寄りかかる。太平洋戦争の日本軍が玉砕した成り行きである。

平尾さんは実に味わい深いことをしている。まずホットペッパーの「版元長」と呼ばれる幹部社員たちに「一人一人が銀座で飛び込み営業をやってこい」みろと命じたのだ。忙しいお店の人たちに「ホットペッパーです」といったところで、当然のことながら中に入れてももらえない。ホットペッパーを熟知した、経験のある幹部がやってもそんな体たらくなのだから、普通の営業スタッフが体当たりで飛び込んでもうまくいくはずがない。提案営業の現場での難しさを体験した幹部社員は、どうやったらお店の扉を開けてもらえるか、お店に入れてもらったところでどうやって意思決定権のあるオーナーに話をさせてもらえるか、どうやったら5分間話を聞いてもらえるか、何をどういうタイミングで話せばいいか、そうした細部に注意を払い、現場目線でストーリーを組み立てていく必要性を痛感する。その結果、じつに細かく、丁寧に、具体的に、ステップバイステップでストーリーが紡がれることになる。ストーリーの肝になるところについては、超ミクロ、超具体的なところまで目配りが利いている。