このように考えていくと、結局そういう人材は、地方議会に求めるのが最も妥当なのではないか。
もちろん従来のように「地域のボスが自分に連なる人脈の地方議員を一本釣り」のような形で選んでは意味がないが、少なくとも地方議員は国会議員に比べ、住民により身近な地域の課題を扱い、その活動ぶりも目に見えやすい。そうした中から、これぞと思う地方議員について、有権者自らが声を上げて、国政に押し上げることは不可能ではないと思う。
地方議員の深刻な「なり手不足」
問題はその地方議員の「なり手不足」である。
前述したように、今春には統一地方選が予定されているが、最近、統一地方選のたびに話題になるのがこの「なり手不足」問題だ。4年前(2019年)の前回統一地方選では、都道府県議の27%、町村議の23%が無投票で当選した。
有権者が選挙にさえ関与できないような状況が続けば、地域住民が自分のまちの政治や行政の課題に無関心になり、地方議会にも政治家の資質に欠けた議員がどんどん進出してくることになりかねない。一部にはすでにその兆候が出ている。
候補者を育てることで被選挙権に間接的に関与する
候補者がいないのなら、有権者が自らの力でつくるしかない。「自分たちが応援したい候補者を自分たちでつくる」。そんな形で政治に関与できないだろうか。
投票という「選挙権の行使」だけではなく、候補者づくりという形で間接的な「被選挙権の行使」を行うのだ。少なくとも「自らが立候補する」ことに比べれば、ハードルははるかに低いはずだ。
そんな形で少しずつ、地道に民主主義を取り戻していけば、資質に欠けた政治家が簡単に議席を得るような政治は、時間はかかるにしろ、いつしか消えていくだろう。