立憲は「まっとうな候補者」を見抜く目を養うべき
今回の件で立憲が反省すべきことがあるとするなら「若い政治家を育て上げる能力の欠如」ではなく「政治理念を共にできる人物を選び抜ける能力の欠如」だと思う。
目指すべき社会像を共有していない。それどころか、そのようなものを持たず、ただ「政治家になること」だけが自己目的化している。そういう人物を「つかまされて」しまう。候補者になる人物と最初に接触する地方組織の弱さ、それをチェックする党本部機能の弱さ、つまりは「地力のなさ」ということなのだろう。
春の統一地方選は、こういう意味でも党組織を鍛え直す良い機会である。地方議員を増やすことは立憲にとって喫緊の課題だが、それと合わせて「まっとうな政治家」となれる候補を探し出せる確かな目を養うことにも、ぜひ力を入れてほしい。
一度も登院しない国会議員が政治家を続けられる異常さ
今回の問題は、今井氏個人のみならず「そもそも政治の世界に参入するまっとうな人材が減っているのではないか」という、本質的な問題を突きつけたようにも思う。多かれ少なかれ、多くの国民に共通する思いではないだろうか。
最近国会に議席を得た人物を見ても、例えばNHK党のガーシー(東谷義和)参院議員が、昨年7月の初当選以来、アラブ首長国連邦のドバイに滞在したまま帰国せず、一度も登院していない問題が、通常国会で注目を集めている。ガーシー氏の問題は2月上旬にも、
ほかにも、聞くに堪えない国会の質疑など「政治家の質が担保できていない」と嘆きたくなる事例は、この10年ほどでかなり増えたと実感する。
あまりこんなことは言いたくないが、実社会でまともに通用しそうもない人間が、政治家になるための心構えも十分でないまま、言葉は悪いが「選挙でワンチャンあるかも?」といった軽いノリで、いきなり国政に流れ込んでいるのではないか、と思えてならない。もちろん、それをスクリーニングできない政党の側にも問題はある。
一時は候補者の公募や政治塾のようなものがもてはやされたし、これらは政治家になる人材を固定化させず新しい人材を流入させることには、一定の意義はあると思う。しかし、それだけではやはり、長く国民のために働ける人材をつかみきれない。
やはり候補者が国政選挙の候補者として表に出てくる前に、その人物像が地域に暮らす国民の前に十分にさらされ「国政でもまっとうな活動ができそう」という信頼感を事前に得た上で、有権者の側から「押し上げられる」形で公認されるというシステムを、もっと大事にすべきではないだろうか。国会議員にあるまじき人間が何人も議席を得てしまうような事態を少しでも防ぐには、使い古された言葉だが「出たい人より出したい人」を、より大切にすることしかない。