2021年秋の衆院選で全国最年少候補として立憲民主党から岐阜5区に出馬した今井瑠々氏が、今春の岐阜県議選に自民党推薦での立候補を表明した。ジャーナリストの尾中香尚里さんは「こうした非常識な鞍替えが起きる根本には、地方議員の『なり手不足』という問題がある。無投票当選が続くと、資質に欠けた候補者がどんどん出てきてしまう」という――。
記者会見で岐阜県議選への出馬表明をした今井瑠々氏(中央)。左は野田聖子衆院議員=2023年1月13日、岐阜市
写真=時事通信フォト
記者会見で岐阜県議選への出馬表明をした今井瑠々氏(中央)=2023年1月13日、岐阜市

立憲→自民の「禁断の移籍」を表明した今井瑠々氏

立憲民主党に所属していた今井瑠々るる氏が、同党を離党して今春の岐阜県議選に自民党の推薦を得て無所属で立候補する考えを表明した。2021年秋の前回衆院選岐阜5区に立憲から全国最年少候補として出馬し、自民党のベテラン・古屋圭司氏に肉薄した若手のホープが、報道によれば、自ら直接戦った相手の軍門に降ったわけだ。

裏切られた形となった立憲は今井氏から出されていた離党届を受理せず、同氏を除籍処分とした。

さすがにここは「有望な若手に逃げられた立憲」などと言って冷笑するところではないだろう。「逃げた」側の今井氏の行動が、政党政治家というより、社会人としても非常識に過ぎるからだ。一般企業における転職活動でさえも「こんなやり方はすべきではない」と言われるのが普通ではないだろうか。

「目指すもの」が全く見えない候補者

筆者は少し別のところに無力感を覚えている。

この場で何度も書いてきたが、小選挙区制を主体とする衆院の現行の選挙制度の下では「目指すべき社会像を異にする二つの政治勢力が、政権をかけて戦う」のが衆院選のあるべき姿だと考えている。国民は衆院選の投票行動によって、どちらの政治勢力に政権を任せるか、つまり「どんな社会像を目指すのか」を自らの手で選ぶものだと。

自民党の安倍晋三元首相は在職当時「この道しかない」と繰り返していた。これに対し、野党第1党の立憲民主党と党所属の政治家がやるべきことは「本当にこの道しかないのか」「別の道を歩むべきではないのか」と、時の政権に問い返すことであるはずだ。

「目指すべき社会像」が真逆の政党に簡単に移れる、ということは、つまりその政治家に、もともと「目指すべき社会像」がないというのに等しい。今井氏は自民党岐阜県連での記者会見で「政党が変わっても、目指すものは何も変わらない」と語っていたが、その「目指すもの」とは何なのだろう。