なぜ「里崎チャンネル」は成功したのか

僕もどちらかというと、その部類です。プロ野球選手時代に多少目立った時期はありましたが、選手時代全体で見れば全然大したもんじゃありません。所属していたのはプロ野球界が誇るマイナーチーム、ロッテですし、通算成績にしても、並の選手ですよ。

それでもYouTubeで成果を上げられたのは? これに尽きます。僕にしかできないコンテンツを作り続けたからここではまず、次の3カ条の問いを覚えておいてください。

◎自分はどういうキャラクターなのか?
◎自分にしかできない強みとは何か?
◎どういった人たちが興味を持って見てくれるのか?

こう見えて僕、物を考えるのが好きなんです。あらゆる角度から突き詰めて分析していくこととか。そういう性分もYouTubeチャンネルがうまくいっていることの理由の一つだと思いますね。

だから、皆さん、「自分は無名だから無理だ」と端から諦めないでください。自分にはどんなことができるのかを改めて考えてみてください。誰も持っていない才能、個性として売りになるものに気づけばしめたもの。まずは自己分析を深めることから始めてみるとよいでしょう。

引退後、年収は1.6億円→0.2億円に

おかげさまで、僕の収入は引退後もずっと右肩上がりをキープすることができています。やはり、「どんな仕事でも引き受けてきた」ことが大きかったと思います。

一流選手の年俸というと、1億円という線引きがありますけれど、僕が1億円プレイヤーになれたのは、現役時代の2007年。引退後もこの金額を目標にやってきたわけですけれど、選手として圧倒的な成績を残したわけじゃなく、プロ野球の中でもマイナーなロッテ出身の僕が、「引退しても1億円!」と公言するなんて、鼻で笑っていた人もいたことでしょう。そんな大方の予想を裏切り、僕は21年に1億円を突破しました。

それまでの年収の変遷ですけれど、引退した翌年の15年はガクンと下がるものなので、まさに「来るもの拒まず」の状態で仕事を受けてましたが、どうにか年収2000万円くらいでした。16年は前年に引き続き、来た仕事は原則すべてこなしていたところ、それらに加えてテレビやラジオのレギュラー仕事も入ってきて、収入が上昇気流に乗ってきたんです。

そうして17年から19年も仕事が順調に入っていき、20年もさらに頑張るぞ……と思っていたところに、新型コロナウイルスの蔓延でプロ野球の開幕が延期。数カ月間ですが、いつもの解説の仕事がキャンセルになったため、引退後初めてと言っていいくらい自由な時間ができました。