「本能寺の変が起きないルート」の可能性

しかし、将軍になって幕府を開く、ということをしない信長。彼は何者か。理解不能と化したおとこが起っている。桶狭間の前夜、何もしないために理解不能と化したこの漢を、人々は「大たわけ」と呼んだが、もはやそれでは済まない。いまや彼は絶大な力を有し、ほとんど日本の運命を手中にしている。

いったい何を考えているのか。これは不気味な思いのする想像であろう。急速に、天下布武の前途が暗くなる。その道の果てには深淵しんえんが口を開けているのではあるまいか。

もしかすると、「三職推任」に対する信長の返答が、家康の接待であったり、梅若大夫の能に対する叱責しっせきだったのかもしれぬ。その意味が、見える人には見えたであろう。

私は考える。もし信長が将軍に任官していれば、光秀のクーデターなぞ在り得ないことであったろう。

「天下のためのクーデターは支持されるはず」

六月朔日、夜に入り、丹波国亀山にて、惟任日向守光秀、逆心を企て、明智左馬助、明智次右衛門、藤田伝五、斎藤内蔵佐、是れ等として、談合を相究め、信長を討ち果たし、天下のしゅとなるべき調儀を究め、亀山より中国へは三草越えを仕り候ところを、引き返し、東向きに馬の首を並べ、おいの山へ上り、山崎より摂津の国の地を出勢すべきの旨、諸卒に申し触れ、談合の者どもに先手を申しつく。(『信長公記』傍線引用者)

光秀は部将達にクーデター計画を打ち明ける。信長を討つ、それは百パーセント成功する。しかし、その後をどうするのか。彼はさだめし、クーデターは天下のために行なうのであり、したがって天下の無言の支持があるはずであり、信忠、家康、秀吉、勝家、滝川の情況を分析して、武略としても成立する、というような時局認識というか現実判断を説いたのであろう。

私には、光秀に「天下の主」となる強力な意志があったとは思われない。彼のねがいは、時代の歩みを一瞬留め、現状をゆっくり改良していくことであろう。だが、部将や兵は、天下の事などどうでもよく、自分の武力の増強だけを考えるリアリストである。とてもそんな説得で足りたとは思われぬ。ただし、ただ一つの真実だけを視ていた。自己の命運を賭けた一個の漢のかおを。