軍内部への締めつけ策の絶好のカモフラージュ

不安に拍車をかけたのが、米韓合同軍事演習だ。韓国の文在寅ムン・ジェイン前大統領は北朝鮮との融和を重視して合同軍事演習を中止・縮小していたが、保守系の尹錫悦ユン・ソギョル大統領になって今夏から再開された。

金正恩の鎮静剤代わりになっているのがミサイルである。実際の牽制効果はともかく、撃てば一時的に現実逃避できる。それ以外に不安を解消する手段がなく、依存症のようにミサイルを飛ばすのだ。

金正恩が抱える不安は対外的なものだけではない。むしろ潜在的に恐怖を感じているのは国内のほうだろう。

本来、国家指導者は知恵と人徳で国民を率いるべきだ。しかし、それらがなければ恐怖政治で人々を抑えつけるしかない。

かつてルーマニアで独裁政治を敷いたチャウシェスク大統領は、1989年に内部の裏切りもあって民主化運動に倒れ、銃で処刑された。韓国でもかって朴正煕パク・チョンヒ大統領が部下に暗殺されている。知恵も人徳も持ち合わせていない金正恩には、つねに“チャウシェスクの不安”がつきまとう。ミスをした高官を大砲で吹っ飛ばしたと噂されているが、残忍な方法で次々に粛清するのは、内部崩壊すれば自分が処刑されるという不安の裏返しだろう。

ミサイル発射も、軍内部への締めつけ策だと見れば合点がいく。北朝鮮は軍事を最優先とする先軍政治を掲げている。金正恩にとっては軍の掌握が何より重要であり、ミサイル発射を通して軍の内部監査を行ったのだ。

今回、ミサイルはさまざまな方法で発射されている。通常の陸地からの発射もあれば、潜水艦や列車、トラックからの発射もあった。また半島の東海岸から撃ったかと思えば、西海岸からも撃った。基本は日本海に向けているが、黄海、つまり中国方面に向けたものもある。

これは北朝鮮軍内で複数のミサイル発射プロジェクトが並行して動いていることを意味する。ミサイルを立て続けに発射させたのは、プロジェクトの発表会のようなもの。それぞれの責任者は、「失敗したら粛清される」という緊張感で事に当たったに違いない。

アメリカや韓国の動向と、北朝鮮軍内部の掌握。どちらも金正恩にとっては頭痛の種だ。ミサイル発射は頭痛をやわらげるための鎮静剤だが、今回はさまざまな場所・方法で発射していることから、対外的な威嚇より内部監査の意味合いが強い。米韓合同軍事演習は、軍内部への締めつけ策の絶好のカモフラージュとして利用されたのではないだろうか。