母親への報告と性別移行

電話で母親に性同一性障害と診断されたことを告げると、62歳になっていた母親は、次の通院日に向坂さんに付いてきて、主治医に抗議するため診察室のドアをこじ開けようとし、制止した向坂さんと待合室でもみ合いに。いったんは断念したかに見えた母親は、今度は受付に行き、「何を根拠にここの医者は、うちの娘に性同一性障害だなんて無責任な診断をするんだ!」と怒鳴り散らした。

以降、向坂さんと母親の間で性同一性障害の話題はタブーに。父親からは一度、向坂さんの離婚後に電話があり、「独り身になったのなら、実家に帰ってきて経済的に支えてくれないか?」と打診されたが、男性ホルモンの投与を開始し、声も見た目も男性化していた向坂さんは、すでに母親から実家の敷居をまたぐことを暗に禁じられた状態であり、帰ることはできなかった。

あとで母親から、父親が電話を切ったあと、「あれは本当にうちの娘か?」と訝しがっていたことを聞いた向坂さんは、糖尿病を患い、その頃心臓の手術をしたばかりの父親の心や体の負担を考え、自分が性同一性障害だったということは一生伝えないことに決めた。そのため父親は、診断を受けてから20年近く経ち、80代になった今も、向坂さんが性同一性障害であることを知らない。

宙に浮く男女の性別記号
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一方、子供たちとは離婚後1〜2年は週に2〜3回、その後は年2〜3回会って、お互いの近況を報告し合っていた。

2022年5月。向坂さんは長女が成人するのを待って、戸籍の性別を女性から男性に変更。変更に時間がかかったのは、性同一性障害の特例法に、「現に未成年の子がいないこと」という要件があったためだ。

向坂さんは現在、長男、長女と共に暮らしている。離婚の際、親権は元夫が持ったが、長女は中学2年の時、自ら「一緒に暮らしたい」と連絡してきた。そのとき向坂さんが、性同一性障害であることや、いわゆる世間一般の“お母さん”とは違うことなどを伝えた。

だがその後、元夫と親権を交代する際、家庭裁判所の調査官に長女は、「私が物心ついたときから母は性同一性障害だったので、一緒に暮らし始めても気にしたこともなく、わざわざ考えたこともない」と話したと聞いた。

都内でIT系の企業に就職が決まった長男も、2018年から同居するようになっていた。

「娘からすれば、自分の親が性同一性障害であることは、言葉で説明されるまでもなく、普段の生活から十分理解していたのだと思います」

かつて息子にも、「お母さんは、男かもしれないんだ」と話したことがある。するとまだ小学校1年だった息子は、「違うよ、お母さんは女だよ、だってちんちんないじゃん」と反論。そこで向坂さんは、「性同一性障害という病気で、男になってしまうかもしれないんだ」と、言い方を変えてみる。さすがに息子は驚いて、「病気? お母さん死んじゃうの?」と悲しそうな顔。慌てて、「その病気は死なないんだよ」と言うと、「そうなの? だったら別にいいや」と息子は安心した。

「息子にとっては親の性別よりも、生死のほうが重要なんだと改めて知り、何だか拍子抜けしましたが、それが本質だと思いました」