シューズ用の革靴を作らせたヘンリー8世

興味深いことに、サッカーシューズの最初の記録は1526年のもので、イングランドのヘンリー8世――度重なる結婚と、イングランド国教会を支持してバチカンとたもとを分かったことで知られる国王――が仕立て屋に対して「45足のビロード(の靴)と、サッカー用の1足の革靴」を作るように命じた。

ヘンリー8世が実際に試合に出場したかどうかは不明だが、1548年に息子のエドワード6世が、試合をきっかけとしてふたつの町の間で戦いが発生したのを受けて、再びサッカーを禁止したことはわかっている。

数世紀が経過し、禁止令が解除された後、マンチェスター市議会は「多くの窓」が割られることを理由に市内でのサッカーを禁止した。スコットランドでは1906年まで禁止令が法的には継続していたが、まだそれが効力を持っていた1873年にはすでに最初の公式大会(スコティッシュカップ)が開催されている。

学校で議論された「サッカーの価値」

支配者階級からは賛同を得られなかった一方で、学校ではサッカーが続けられていた。16世紀、ロンドンのセント・ポールズ・スクールは、サッカーには「有益な教育的価値」と、「健康と体力」を増進する性質があると強調している。

これはサッカーやスポーツ全般の歴史においてそれなりに意味がある。その頃まで、「スポーツ」の概念は戦争のための訓練と一体化していた。ちなみに、古代オリンピックで発展した競技はいずれも戦時の状況と関連があり、ボクシング、レスリング、槍投げ、戦車競走、短距離走や長距離走などで、鎧、盾、槍を使用する場合もあった。

一方で主にアメリカ、イングランド、フランスの大学は、より友愛的な競技を確立するための場となり、その目的は相手を壊滅させるものではなくなった。サッカー、ラグビー、テニス、クリケットなどの種目にはある共通点がある。相手から攻撃を受けるとしても、ボールをぶつけられるくらいだということだ。

時代の経過とともに、学校や大学はサッカーの規範の発展のための理想的な議論の場となったが、それぞれの学校が独自のルールや基準を作成したため、ほかの学校のルールとは多くの点で異なる場合が生じた。このようにして、サッカーは教室や回廊で長く人目を忍んで存在していたが、ようやく立派に成長した形で表舞台に登場し、その魅力で世界を席巻することになる。

19世紀の少年サッカー
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