小規模多機能型居宅介護施設へ

妻は、2021年12月に認知症専門病院を退院し、2022年から自宅で看護小規模多機能型居宅介護事業所の訪問看護をスタートした。

自宅に戻ると、妻は入院前より、トイレ、入浴など、あまりにもいろいろなことができなくなっていることが分かり、河津さんはショックを受ける。また、話す内容も意味不明なことが増え、「ヘビ、いない?」などわけの分からないモノへのおびえ・不安に振り回され、入院前にはなかった便秘の対応に悩まされた。

2022年1月は訪問看護週1回、通所週3回を利用。当初は看護小規模多機能型居宅介護事業所の訪問看護をメインに、就労継続支援B型施設を併用していくつもりだったが、回復の兆しがなかったことから、看護小規模多機能型居宅介護事業所のデイサービスの利用が中心となっていく。

この頃から妻は、不随意発声・奇声を発するようになった。朝、目を覚ますと妻は、突然「ああああああああああ」と意味不明な叫び声を上げるのだ。河津さんいわく、その声はさながら、人の笑い声に似た鳴き声のワライカワセミのようだったという。

びっくりした河津さんが、「どうしたの?」と訊ねると、「勝手に声が出るのよ!」と妻。河津さんが「トイレ大丈夫?」と気をそらすと、妻は声を上げるのをやめ、トイレに向かった。

その夜。再び妻が突然、「ああああああああああ」と甲高い声を上げ始める。河津さんは近所迷惑を気にして、妻の口に手を当てる。すると、「あたしがやってるんじゃないの!」と言って、また叫び出す妻。

妻の不随意発声は1時間ほど続いた。

直線だけで描かれた人の横顔
写真=iStock.com/Lidiia Moor
※写真はイメージです

不随意発声は、関心が他へ移れば治まるが、喉の違和感にとらわれ続ければ抜け出すことができない。そこで河津さんは、妻の好きな曲を流してみる。すると妻は、不随意発声をやめ、曲に合わせて歌うようになった。

2月に入った途端、妻が発熱。コロナ禍であるため、デイサービスの利用を休止しなければならない。2月4日に抗原検査を受けると、陽性と判明。保健所の指導で自宅療養となる。妻は、熱発している間、体調が芳しくないためか、不随意発声も控えめだった。

自宅療養期間を終え、15日からはデイサービスの利用を再開。再び喉の変調による“病院に連れてってパニック”が始まり、さらに、小規模多機能型施設の職員に対し、「バカなんだから!」などと暴言を吐くように。激しい興奮状態に陥り、意識喪失することや、サービス利用の高齢者とケンカが勃発しそうになったことも。

2月下旬になると、短いスパンで症状が目に見えるように変わっていく。不随意発声全開になったほか、十分に腕を上げてくれなくなったため、前開きでない服を着せるのに苦労する。靴を履かせるのも大変になり、マジックテープで留めるタイプを購入。頻繁に屋内徘徊するようになり、体の重心の傾斜、多動、不安などが見られ、自宅にいながら、夕方になると「帰りたい!」と言い出すように。

その一方で、多幸感の症状も出てくるようになる。

「多幸感の症状が出ているときの妻は、本当に幸せそうで機嫌がいいのですが、それが途中から一転して『怖い』『帰る』と不随意発声と室内徘徊に変わりました。その数日後には、私に向かって『良かったね、本当に良かったね』と言い、拍手までして『うんうんうん』と自分でうなずきながら、室内を行ったり来たりを繰り返すようになりました。何のことやらですが、『怖い怖い』とおびえる妻よりは、幸せそうな妻の様子を見ているほうが好きでした。あれほど幸せそうな表情は、認知症になる以前にも見たことがないくらいです」

3月に入ると、小規模多機能型施設の職員に対し、「あなたは主人?」「主人は?」と訊くようになる。自宅で室内徘徊を始めると、途中で河津さんに対し、「あなたなの?」「あなたいたの?」と今初めて在宅に気がつくようなことが増えた。さらに数日後には、「ん? あなたなの? ……似てるだけー! 偽物だー!」と言われてしまう。

「妻は、私に雰囲気が似ている、通所施設のケアマネさんと私を混同するようになってしまいました。家族だと、ダメ! と厳しく言う場面でも、ケアマネさんだと、やさしく対応してくれるので、妻の中ではいつの間にか、本物の私が、“似てるだけのニセモノ”に格下げとなってしまったようです」

やがて妻は、一睡もせず、一晩中自宅内を徘徊し、多幸感・独り言を繰り返したうえ、着衣をすべて脱ごうとするように。その間、見守る河津さんも眠れない。さらに、夕食と薬を受けつけなくなり、妻はやせ細っていく。

万策尽き、困り果てた河津さんは、3月9日の訪問看護時に、大学病院の精神科部長と認知症主任看護師に相談。昨年12月まで入院していた認知症専門病院に再入院のオファーを出した。