※本稿は、久松由理『国語の成績は観察力で必ず伸びる』(かんき出版)の一部を再編集したものです。
国語が苦手な子の共通点は「テレビを見ていないこと」
教室で、この子は語彙力がないな、ちょっと理解力に欠けるな〜と感じる子に、「テレビを見ていますか?」と聞くと、返ってくる答えは大抵、「家にテレビがありません」「ほとんど見せてもらえません」のどちらかです。
「教育に悪いから、子どもにはテレビを見せません」という方がときどきいらっしゃるのですが、私は、博学で賢い子を育てるために、テレビは欠かせないツールだと考えています。
なぜなら、人は一度も見聞きしていないものについて、他人とイメージを共有することができないからです。
見たこともない龍や天使の姿を、私たちがほぼ同じようにイメージできるのは、どこかで龍や天使の絵や像を見た経験があるからですよね。
仮に、「チナルータ」という動物について想像してくださいと言われても、他人と同じ「チナルータ」を頭に思い描き、共通の認識を持つことはできないでしょう(チナルータは架空の動物です)。
ということは、本や会話の中に、自分の「見聞きしたことのない事物」が出てくると、人はその文章や話の内容を、正しく深く理解することができなくなるということです。
例えば、一度も時代劇を見たことのない子が歴史小説を読んでも、武士のいでたちや合戦の様子を想像することはできません。古い言葉遣いも聞いたことがないので、当然「古文」も苦手になります。
また、刑事もののドラマを見たことのない子が推理小説を読んでも、指紋や足跡を採取する鑑識風景すら、想像することができないでしょう。
さらに本には、部屋にいながら異文化を疑似体験できるという魅力がありますが、イスラム文化を一度も目にしたことのない子が、果たして『アラビアンナイト』の情景をありありと思い浮かべて、物語世界を楽しむことができるでしょうか。
要するに、いくら本を読ませても、良い授業を聞かせても、本に書いてあることや相手の語ることをお子さんが頭の中で映像化して、作家や教師とイメージを共有できないなら、その効果はないも同然なのです。