専門領域を超えて集まったコミュニティ

1994年、通産省の「100校プロジェクト」に参画します。全国の小中高に専用線をはり、インターネットで接続する日本初の試みです。入札参加は4社。当時は各社もインターネットの工事がよくわかっていない状況で、みんな手探り。その中で担当した中部地区が大手ベンダーの他地区に先駆け、最初に接続に成功したことは自信になりました。

通産省の「100校プロジェクト」のメンバー。最後列右から2番目、腕組みをしているのが当時の大久保氏。
通産省の「100校プロジェクト」のメンバー。最後列右から2番目、腕組みをしているのが当時の大久保氏。

このプロジェクトでは、さまざまな出会いに恵まれます。2年目に各地区で成果発表会があり、実施学校、インターネットを研究する大学などが参加します。先端的なことに関心の強いみなさんですから、話は尽きません。紅茶とケーキだけの公式プログラムだけでは面白くないので、終了後に私達で自主的にビールありの交流会をやり、教育議論は大いに盛り上がりました。

実はプロジェクト3年目に予算が止まり、他社は手を引きだします。しかし、教育の情報化を進めることを途中でやめるわけに行きません。ICTを活用した新しい授業を行いたい。そうした思いを持った全国の人達は、プロジェクト終了後も有志で集まり、私も一緒になってさまざまな活動を各地で続けます。現在、毎年、東京・大阪で1万人以上の来場者が訪れるように成長したNew Education EXPOという教育関係者向けのイベントは、この現場の先生達の実践知を伝えるために草の根的に私が始めたものです。また成果検証を目的に教育総合研究所の前身となる部署も立ち上げます。

地域や専門領域を超えて集まるコミュニティは刺激的でした。95年当時は名古屋市の商業高校で英語を教えていた影戸誠さんほか全国各地の多くの現場の先生。研究者では、村井純氏と日本初のインターネット接続を行った早稲田大学の後藤滋樹教授ほか。官僚では後に文部科学副大臣になられる通産省の鈴木寛さん。こうした方々はインターネットの教育活用黎明期を支えたいわば同志であり、今も新たな分野に挑戦し続けられています。ただこのおかげで私はゴルフを覚える機会を失いましたが。

視野を広げた経験は、社長になった今も役に立っています。内田洋行は公共、オフィス、情報という3つの事業枠で展開してきましたが、以前は各事業が分断されていました。そこで新たな視点で全社をマトリックス的に俯瞰することから、売上の6割のICT技術など、各事業間での共通のリソースや市場ノウハウが活用できる再構築を進めています。

このように柔軟な見方ができるようになったのも、ビジネスの枠を超えて同じ志を持ったみなさんと出会えたからだと考えています。(内田洋行社長・大久保昇氏)