「よく来たな」と笑顔で迎えてくれた

あとになって聞いたのですが、先生はその日の朝、メールを見てすぐに僕の家に向かってくれたそうです。

ところが、母は実際とは違う住所を学校の書類に書いていました。そのため、先生は前に僕がしていた話を頼りに住んでいる場所の見当をつけ、近所の人に聞いて回りながらマンションを探し当ててくれたのでした。

先生は、その後も何かと相談に乗ってくれましたが、僕の事情を知って無理に学校へ来るようにとは言いませんでした。その代わり、アルバイトを終えた僕が5時間目から登校すると「よく来たな」と笑顔で褒めてくれました。そうやって信頼できる人に見守ってもらえることが、僕にとっては大きな安心につながりました。

アルバイトと学校の両立も何とかできるようになり、物理的に一緒にいる時間を減らしたことで、母とのイザコザも減っていきました。その結果、経済的、時間的には苦しいものの、精神的には少しずつ落ち着きを取り戻していきました。

過去を悲観するより、どう生きたいのかを考える

間違いなく言えるのは、F先生がいなかったら僕は生きていないし進学もしていない。いまの活動もしていないということです。

先生は社会人を経て教職に就いた人で起業経験があり、そこで得た生き方や考え方などを僕に語ってくれました。

先生の言葉で、いまも大切にしているのが「過去に悲観的になるのではなく、これからの人生を自分がどう生きたいのかを考えなさい」という言葉です。

それまでの僕は、今日を生きるのに精一杯で、将来について考えたこともありませんでした。だから、最初そう言われたときは、正直どうやって考えればいいのかよくわかりませんでした。でも先生は、授業でも僕個人に対しても、ことあるごとにそう話すのです。

「自分はいったい何がしたいのだろう」と考えたとき、頭に浮かんだのがバイト先で出会った人たちです。

一緒に働いていた人のなかには、親に虐待されている高校生もいれば、家の事情で出生届を出してもらえず戸籍のない人もいました。大学進学の学費のために働いている20代の人もいました。みなそれぞれに深刻な悩みや問題を抱え、必死で生きている人たちでした。

彼らと出会ったことで、苦しいのは自分だけではないと初めて知りました。また、そんな彼らとともに過ごすことで自分自身を肯定できたような気がしました。そして、社会が抱える問題を初めて意識したのです。

私立の高校へ通い、さらに留学までできた僕は、彼らから見ればとても恵まれた存在でした。