何につけ理由を求めてしまう机上主義の人はいるが、読者に意味を考えさせるための小説は最低だ。その点、『水滸伝』(1)はすばらしい。梁山泊に集う108人は義賊などではなく、乱暴狼藉を働いたため世間から追放された単なる人殺しや泥棒である。美学を求めるわけでも、暴力の賛美でも、悪をつくすわけでもない。ある意味で「せこい悪」が登場するピカレスクロマンは重要だ。社会には自分とは違う人間がいることを知るためには小説は重要だと思うからだ。
娯楽小説は軽く見られがちだが、純文学を押しのけて100年後の古典になりそうなのが『私が殺した少女』(3)と『遠い海から来たCOO』(5)だ。前者は日本語で書かれたハードボイルド・ミステリの最高峰、後者はSFファンタジーだ。日本語は英語や中国語と異なり、韻ではなくリズム感のよさが名文の条件。両者とも翻訳ものとは一味違った心地よいリズムが味わえる。
アナール学派の登場以降、歴史学は大きく変わりつつある。従来の各国史ではなく地域連動的なダイナミックな歴史理解が進み、さらに考古学や地球物理学、疫学などの知見をもとにした新たな解釈が現れた。そんな「グローバルヒストリー」のはしりといえる良書が『1492』(8)だ。コロンブスによる「インド」発見以降、いかに世界各地の文明が抹殺され西洋化されていったかを解明する。