「消費税増税」はいまや野田内閣の一枚看板の感があるが、このプランの仕掛けは自公連立時代から始まった。
出発点は小泉純一郎首相時代の04年6月の年金制度改正だった。厚労相の座にあった公明党の坂口力が説明する。
「あの頃は2、3年おきに年金の保険料や将来の年金額を変えていた。それで支払う保険料の上限と、受け取る年金額の下限を示して、100年先まで安心の年金制度をつくることにしたが、基礎年金の半分は国が出さなければ成り立たないとわかった。2兆数千億円が必要になる。財務省は小渕内閣以来の定率減税をやめて元に戻してほしいという。それで自民党と公明党と財務省が合意したが、実際は財務省が財源を用意したのは36%くらいで、残りは入らなかった」
この年金制度改正で、09年度までに基礎年金の国庫負担割合を3分の1から2分の1へ完全に引き上げることが決まった。麻生太郎内閣時代の09年にその実施が問題になった。自民党政調会長だった保利耕輔元文相が回想する。
「引き上げの期限がきた。財務省は『埋蔵金でなんとかしましょう。2年限りです。それで底を尽く』と言う。2兆5000億円くらいだったかな。実際は3年分あったが……。自公連立だから、公明党と折衝し、その結果、改正所得税法に附則を付けることになった」
リーマンショック後の景気回復策として住宅・土地税制や法人関係税制などの減税措置を含む税制改革が行われ、09年3月に所得税法が改正された。その附則104条に消費税を含む税制抜本改革の方向性を示す規定が設けられた。
「政府は、……平成20年度を含む3年以内の景気回復に向けた集中的な取組により経済状況を好転させることを前提として、遅滞なく、かつ、段階的に消費税を含む税制の抜本的な改革を行うため、平成23年度までに必要な法制上の措置を講ずるものとする。……」